日吉古墳群・日吉大社
山王鳥居(西本宮前) 東本宮 東本宮の樹下宮

全国の日吉(日枝)神社の総本宮、日吉大社の一帯も、穴太野添古墳群百穴古墳群同様、渡来系の特徴を持つ古墳が多く見られる。全体で68基あるとされる。境内にも古墳の石材でないかと思われる石が多く見られ、中には祇園石のように信仰の対象になっているものある。日吉大社のある坂本一帯は古くから渡来系の多く住む地域であった。この地方は三津首氏が多かったとされる。

日吉大社は社伝では崇神天皇のとき(紀元前90年頃)に、大山咋神(おおやまくいのかみ)を祀ったことに始まるとされる。その後大津宮が出来たときに現在の地に遷された。そのときに大山咋神を祀る神社(東本宮)に、奈良三輪山の神を迎えて(西本宮)、国家鎮護の神として祀られた。その後も重視されつづけ、最澄が比叡山延暦寺を開くと、天台宗の護法神とされ、名称も日吉大社となった。

この神社の始まりは実際は古墳時代まで降るようであるが、いずれにせよ大山咋神をまつった所(八王子山)は、坂本の住民たちに篤く信仰された。今もそこには大きな岩があって信仰の対象となっている。ちなみに韓国でも巨岩信仰があり、そこに新羅による三国統一前後から磨崖仏が彫られるようになった。

大山咋神はスサノオ命の孫に当たる。スサノオは出雲に降りてきたとされるが、日本書紀の「一書曰く」で新羅のソシモリ(ソ=牛、モリ=頭とされる)に降りてきたともいう。孫の大山咋神の兄弟には韓神、曾富理神(ソホリ=ソウル)など渡来系の神がいる。大山咋神もその系譜である。西本宮前の「祇園石」の神、牛頭天皇もスサノオを表している。

日吉大社のさらに裏手には比叡山がある。比叡山延暦寺を開いた最澄は三津首氏の出身とされる。それまでの奈良の南都六宗から離れて新たな寺を開くわけだから、それを庇護する勢力が必要となる。それを日吉大社に求めたのであろう。

渡来人の多かった坂本、坂本の人々に篤く信仰された日吉大社(古代神道としての)、坂本の渡来系出身で日吉大社によって比叡山を起こした最澄。この三者は関連するかもしれないが、よく分からない。

白山宮の滝 西本宮 祇園石(牛頭天王を祀る・西本宮前)
 
前のページ    目次    HOME     次のページ