長崎奉行所西役所跡

イエズス会 本部跡、長崎伝習所跡でもある

長崎県庁の場所にある。1571年に長崎の町割りが作られたが、それに隣接した岬の先端にある。禁教前にはここにイエズス会の本部があった。さらにこの周 囲には教会やコレジオがあったという。しかし、1614年に破壊され、糸割符会所となる。さらに、長崎奉行書の敷地になった。その後同じ敷地の中で東西奉 行書に別れたが、東奉行書は長崎歴史文化博物館の場所に移っていった。仕事は貿易を監督することであったが、その権限は強大であった。また、朝鮮から日本 に漂着した漁民も、長崎奉行書で吟味の上、対馬藩に引き渡され、対馬を経由して朝鮮東莱府に引き渡された。そのため対馬藩屋敷には対馬同様、漂民屋が設けられた。

このような貿易を管掌するところだから、そのための交渉も行った。ロシアのプチャーチンとの交渉もここが担当している。さらに、安政の改革によって設けられた海軍伝習所の場所もここであった。

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