唐人屋敷  (2)

福建会館(天妃堂)

唐人屋敷は1868年に開放されたが、1870年の火災で建物等が殆ど焼失してしまった。その中でも現在まで当時の雰囲気を残しているものがある。彼らが祀っていたものが続いているのである。

福 建会館。唐人屋敷のほぼ中心にある。江戸時代末に原形が出来たが、1868年に福建省泉州出身者が八閩会所を創設して、正式に発足した。1888年に焼失 したが、1897年に再建。福建会館と改称された。会館自体は原爆により倒壊したため、現在は正門と天后堂だけ残る。天后堂下には孫文像がある。

天 后堂。1736年に南京地方の人びとが航海の安全を願って、天后聖母を祀って建立した。現在の建物は1906年に建てられたもの。天后とは、中国道教の媽 姐神の尊号である。1684年に天后に封じられた。主に、台湾、福建、潮州など南方で信仰される航海の神であるが、次第に万物に利益のある神と考えられる様になった。

観音堂。1737年に建立されたとする。1787年再建。土台石にこの年の年号である「天明7年」の刻印がある。さらに1917年に改築されたのが現在の建物である。観音も仏教の観音菩薩と言うよりも、道教に取り込まれた神で、観音娘娘という女性になっている。

土 神堂。1691年、唐船の船主の願いにより建立。一度焼失後に再建され、改修を繰り返した。1950年、老朽化と原爆の被害によって解体されたが、 1977年に再建された。土神とは土地や家を守り、豊作を願うという土をつかさどる神である。なお、長崎の墓所には「土神」と刻まれた石碑を祀るものが多 いそうだ。土神から一時的に土地を借りるという意味である。




天后堂 観音堂 土神堂

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