唐人屋敷 (1)


長崎は唐人貿易も許可されていたため、多くの中国人も出入りした。中 国人は市中に雑居していたが、密輸やキリシタン布教の恐れがあるために、唐人屋敷を作り、ここに住まわせるようにした。現在は内陸化しているが、当時は、 海岸から波止場を通じて僅かの距離で港にでられる場所にあった。唐人屋敷は1689年に完成し、面積は訳3万u。周囲は堀、土塀などで囲まれた中に、20 棟ほどの屋敷が建てられていた。中国船は年間200隻に達することもあり、ここで2000人から3000人を収容していたという。船の荷物は新地蔵に預 け、中国人は身の回りの荷物だけで、ここに入った。

だが、唐人の立場は安政の五カ国条約以来で不安定になった。五カ国の人びとは条約を結 んだ国民として保護されたが、清国人は条約を結んでいない国民の扱いになった。通商に制限を受けるようになったのである。多くの中国人が唐人屋敷を出て、 大浦の外国人居留地に移った。西欧人に雇われるような形で生活したという。

1871年に日清修好条規ができ、居留地が作られると、新地に移り、新たな中華街を作るようになった。




当時の雰囲気を残している道 商店も中国風装飾 境界の水路

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