出島(1)

ミニ出島

出島は、ポルトガル人を収容するために、1634年から築造が始めら れた島である(1636年完成)。長崎の岬の先の海中に作られたのだが、なぜ扇形なのかははっきりしていない。東西210m、南北60m、面積は 13,000uの規模であった。最初、ポルトガル人を収容していたが、1639年にポルトガル人が追放されたため、出島はしばらく無人の島となっていた。1641年、幕府は平戸のオランダ商館を出島に移転することを命じ、その後218年間、出島で貿易が行われた。出島ではすべての予定の船が入港し、積み荷をすべて倉庫に収めた後、取引が行われた。

安 政の五カ国条約以降、貿易の利益が横浜、神戸に持って行かれると、長崎港の改良が図られるようになった。1883年からは、長崎港の土砂をさらうととも に、長崎港に土砂が流れ込まないようにするために、それまで直線に流れていた大川(中島川)の流路を曲げて、出島の北側を流れるように変更された。そのた めに出島側が18mほど削られた。また、1897年から出島の周囲が大規模に埋められて、出島は完全に陸に取り込まれてしまった。

現在、出島の復元整備事業が行われて、発掘、復元調査が行われている。




中島川対岸 南側護岸 地図(出島パンフレットより 南=左)

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