陶祖神社

本殿

文禄慶長の役のとき、平戸藩主の松浦鎮信も朝鮮に出兵した。各地の大名と同じく、松浦氏も朝鮮から陶工を連れ帰った。1598年、慶長3年、巨関らを連れてきて、平戸の高麗町に 住まわせて陶器を作らせた。巨関は今村氏の娘と結婚し、代々陶工として後を継ぐ家となった。しかし、平戸近辺ではあまり良い土がなかったようで、息子の今 村三之丞は土を探しに平戸藩の中を探し、三川内の皿山で白磁に合う土を探し出し、平戸から移ってきた。三之丞は平戸藩より三川内皿山代官兼棟梁に任命され た(1638)。

陶祖神社はその息子、今村弥次兵を、如猿大明神として祀ったものである。創建は、1842年に平戸藩主から今村弥次兵の 功績を讃える覚え書きが出されたことによるものである。元の代官屋敷の隣で、代官屋敷の礎石も残っている。だが、なぜ、祭神が巨関や三之丞でなく弥次兵な のかについては判っていないようである。神社前の説明板によれば、巨関、三之丞は藩窯創業期の人で、弥次兵が御用窯を確立したからではないかとする。

神社には灯籠や記念碑が残されているが、灯籠をみると、もともと朝鮮から連れてこられた陶工の子孫とみられる帰化姓らしきものもあり、陶工のルーツを伺うことが出来る。もなお、巨関と一書に日本に連れてこられた高麗媼も近くの釜山神社に祀られている。




入口 拝殿 灯籠(陶工の一族か?)

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