釜山神社


文禄慶長の役のとき、巨関とともに日本に連れ来られた高麗媼(コウライババ)を祀った神社。皿山の氏神である天満宮の境内社である。今村三之丞とともに、三川内焼の祖である。

説明板によれば、高麗媼は中里茂兵衛と結婚し、中里エイを名乗った。茂兵衛とともに伊万里の椎ノ峰くで焼き物をやっていたが、茂兵衛の死後、皿山に移ってきたとされる。1622年のことで、今村三之丞が皿山で代官兼棟梁となり、窯を開くのに協力したとされる。

高 麗媼は「釜山大明神」として祀られているが、隣に立っている碑には「窯山」の文字を使っている。これで、「ふざん」でなく「かまやま」であることが判る が、出自もあって「釜」を使ったのだろか。ところで、天満宮の前には空堀のようなものがあり、拝殿には石橋を渡っていく。




入 口 釜山神社 石橋と天満宮

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