エミレの鐘

エミレの鐘は国立慶州博物館の庭にある。正式には「奉徳寺(봉덕사:ポンドクサ)神鐘」という名前で、8世紀前半に聖徳王(성덕왕:ソンドクワン)が作らせた鐘である。

奉徳寺は、北川(북천:プクチョン)のそばにあったということだが、今その場所は不詳である。川原に転がる石を見ても分かるように、北川が暴れ川だったためである。鐘は、博物館に移設されるまでは、路東洞古墳群鳳凰台(봉황대:ポンファンデ)の脇に置かれていた。

この鐘が「エミレの鐘」と言われる理由は、この鐘にまつわる伝説から来ている。鐘を作ろとして何回か鋳造したが、どうしてもうまく鋳造できなかった。そこで人柱を立てることにした。人柱に子供が選ばれて、子供を溶けた鐘の中に入れた。その子供は、「エミレー(お母さん)」と叫んで消えていった。その結果、今度は鐘がうまく鋳上がった。だが、その鐘は、突くと「エミレ〜」と響いたというのだ。

韓国の鐘は、日本の鐘よりも低い位置に吊す。また、音が響くように鐘の下の地面を掘りくぼめる(地面の下にいるものに仏恩が達するようにと言う考え方もある)。さらに音が抜けるように鐘の上に筒をつける。そのために日本の鐘よりも澄んだ音で鳴るところに特徴がある。また、鐘をつくところの両脇に天女のレリーフが付けられ、上部には四角く区切られた中に9つのボツボツ(池塘)が設けられるなどの特徴を有する。

天女のレリーフ(左) 天女のレリーフ(右)
 
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