桓仁
宴(結婚式)の後

桓仁は遼寧省南端の山岳地域で、渾河の中流域にある。清国の封禁地域であったが、1877年に懐仁県(懐想仁人より)となった。しか、山西省に同名の県があったため、1914年に名前を桓仁県に変えた。桓仁城は地勢に合わせて造ったため、中国で唯一八角形をした城壁となった。現在は桓仁満族自治県となっていて、満族が4割をしめている。

三国史記によれば、高句麗の始祖朱蒙は、東夫余から逃走して卒本川で都を作ろうとしたが、宮室を作るいとまがなかったため沸流水のほとりに庵を結んだ。この地が現在の桓仁である。桓仁には3世紀以前にさかのぼる古墳や、高句麗初期の物と考えられる遺跡が多く発見されているからである。

高句麗の都は4世紀に入って集安へ移転するが、その後も高句麗の中心地の一つとして重要な場所だったようだ。高句麗がいくつかの部族の連合政権だったこともあるし、かなり遅い時期の古墳がこの地に残されていることからも分かる。

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