徳津鎮(トクチンジン:덕징진)
徳津鎮全景

江華島は軍事的に重要な島であったため多くの鎮などが設けられた。1636年、満州の女真族との戦い(丙子胡乱)のときに王室の一部がここに避難したが、その後要塞化がはかられた。1710年までに島の周囲に12の鎮堡と53の防衛施設が作られた。徳津鎮は第一の要塞であった。しかし、黄海から漢江を遡って漢城(ソウル)へ行く水路だったために外国の侵略を真っ先に受ける場所となった。

1866年フランスは江華島を占領し、ソウル近くまで攻めてきたが、このとき朝鮮側は夜陰に乗して徳津鎮から三郎城まで攻め入り勝利を収めている。1871年にアメリカが侵入したときもここで激戦が行われたが占領されてしまった。1976年に修復された。

アメリカに占領される(説明板) 翻る星条旗(説明板) 入り口

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