笠店里古墳群
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全景(古墳は復元) |
益山郡笠店里(입점리:イップチョムニ)にある240mの丘陵南東に広がる古墳群である。丘陵の反対側は錦江である。古墳は、1986年に葛の根を掘っていた高校生が、偶然に金銅製帽子などを発見したことで発見された。このときは全部で8基の古墳が確認されたが、1号墳以外は破壊がひどかった。その後13基が発見された(3基は稜線を越えて、隣の群山市側に入っている)。数基が未盗掘であった。一般に稜線に近づくほど、身分の低い人の古墳となる。
1号墳は古墳は東側に向いた横穴式石室墳(片袖式)で、天井は4枚の石で築かれた穹隆式天井であった。これは公州の宋山里古墳群の構造に似ている。古墳は未盗掘で、金銅製の冠帽、耳飾り、飾履、鉄製馬具、中国南朝の青磁性四耳壷、他に多くの百済土器が発見された。5世紀半ばのものと考えられる。なお、金銅製飾履は裏の「スパイク」の状態から、実際に使用された痕跡が残っている。
金銅製冠帽は韓国全羅南道高興、羅州、慶尚南道陝川から類似のものが発見されている。百済の中央政権が、地方政権に対して与える物で、その地域が百済の勢力圏に入っていることが分かる。日本でも熊本県江田船山古墳、佐賀県潮見古墳出、福井県十善の森古墳などから、この系統に属すると思われる冠が発見されているが、加羅系統の遺物と一緒に発見されることが多い。冠帽をはじめ、多くの遺物が、百済、加羅地域に共通するもので、新羅のものとは異なる。
笠店里古墳群の構成は、竪穴式石槨墓(11基)、横穴式石槨墓(2基)、横穴式石室墳(7基)、甕棺墓(1基)である。近くの熊浦里古墳群でも同じような傾向があるが、これは百済の地方墓制の竪穴式石槨墓が、横穴式石槨墓に変わったことを意味する。また、甕棺墓の存在によって、それ以前からこの地域あった土着勢力が、百済の勢力に編入されていった過程が分かる。
特特に1号墳の金銅製冠帽によって、5世紀にはこの地域が百済中央と密接な関係になったといえる。特に、1号墳はこの一帯で最高の勢力に成長した人が葬られていることになる。
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金銅製冠帽(展示館 複製) |
金銅製飾履(展示館 複製) |
この地域と中国、日本との結びつき(展示館) |