六角井戸


16世紀に平戸に滞在していた中国商人の屋敷に作られたとされる井戸。平戸は遣唐使以来、中国との交流の拠点となった場所であった。博多をでた遣唐使は、平戸で風待ちをしてから小値賀に船を進めた。松浦党の時代は倭寇の拠点の一つでもあった。

このように平戸が対中国との拠点となったのは、ここが日本列島の西端に辺り、中国と対峙するからである。中国への航路は五島列島を通じて西へ向かう航路と、九州西岸を南下し、薩摩、琉球を経る航路があるが、平戸はその双方を利用できる場所にもある。

1541 年、明人で倭寇の中心人物であった五峰王直は松浦隆信の優遇をうけて、平戸を拠点に密貿易を行った。その家の跡と伝えられる。なお、種子島に鉄砲が伝来し たときの船は王直の船であったし、平戸にポルトガル船が来たことも王直の手引きとされる。このポルトガル船の平戸来港が、平戸と西洋間の貿易のきっかけと なった。

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