吉武高木遺跡(福岡市西区)
説明板

吉武遺跡は早良平野を流れる室見川の左岸にある遺跡で、1200基近 い甕棺墓と木棺墓の集中する遺跡である。なかでも吉武高木遺跡は弥生前期から中期の60基近い墓からなる墓地群である。また、墓の近くから大型の掘っ立て小屋の遺構が発見されている。墓はすべて北東に向けて彫られていて、大人のものは墓標を持つものがあるとされる。

一つの墓から銅鏡、銅剣、勾玉がでたものもある。王権を示すものであるが、鏡は朝鮮半島製、剣は国内製、勾玉は糸魚川のヒスイである。周辺の地域の墳墓と異なり、副葬品としての青銅器が豊富にでているため、特別力のあった集団だったことが分かる。だが、須玖岡本遺跡三雲南小路遺跡のように大量の鏡がでるような墓は発見されていないという。

平塚川添遺跡
より200年ほど古い紀元前2世紀頃の遺跡とされる。ここに「早良国」が存在していたという主張もある。遺跡からは朝鮮半島の特徴を持つ銅戈や銅剣も見つかっていて、ここと朝鮮との関係は深かったことも分かる。

遺跡現況
甕棺配置と出土品
    
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