官北里遺跡
官北里遺跡全景(左2005年、右、2007年) 官北里遺跡説明板

官北里(관복리:クァンブンニ)遺跡は扶蘇山麓にある。扶蘇山は扶余、百済王宮を防御する山城で、軍事的な施設である。一方官北里遺跡は、朝鮮時代の訳書である東軒の庭から、百済時代の石槽などが発見されていて、王宮址でないかと考えられていた。 1982年から1992年にかけて国立扶余文化財研究所の首位で発掘が行われたが、柱址、道路跡、池、扶蘇山麓の築台、排水路、瓦葺きの家などが発見され、王宮跡の有力な候補地となった。

その後、2001年から周囲の土地を買収して発掘、復元事業が始まった。その結果、大幅な造営工事を行った盛土構造や、この工事に先立つ工房施設が発見された。工房施設は王室に必要な工芸品を作ったところと見られている。発掘現場の断面から、山から大量の土が流れ込んでいることも分かる。

南北大路東側からは多くの建物跡が発見されているが、土を固め、建物の隅を石などで区画した上に礎石をおき、築いた瓦葺きの家である。基礎の下に石を入れて基礎固めする方法は、統一新羅遺構のことである。普通の建物の他に東西35m、南北18mの大型建物も発見されている。

さらに道路脇の排水路として使われた側溝や上水道、多量のマクワウリ、モモ、ヤマブドウのドングリなどが残った貯蔵穴も見つかった。倉庫跡は、王宮の高級貴族が食べた果物を保管したところと考えられている。池址からは木製人形や多くの木簡、定規、草鞋などの有機物や、土器、瓦、唐の貨幣(開元通宝)が出土した。

官北里遺跡のすぐそばには、旧衙里(구아리:クアリ)遺跡がある。1942年に扶余警察署建設工事のときに「天王」と書かれた瓦が発見され、1992年の再調査で寺址であることが分かった。三国史記に出てくる「天王寺」と推定されているが、はっきりしない。ここから井戸が2つ発見された。1つは石積、もう1つは途中まで石積で、上部は木で「井」型に組まれていた。これら2つの井戸は連結されている。

旧衙里遺跡(伝天王寺あと) 旧衙里遺跡説明板

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