鄭公壇
入り口

地下鉄佐川駅のそばにある。文禄・慶長の役の最初の戦闘、釜山鎮城の戦いで戦死した鄭撥(チョンパル)他の戦死者をまつっている。1592年4月14日小西行長軍はここで戦端を開いた。朝鮮側は鉄砲を使った戦いに慣れておらず、簡単に釜山鎮城は落ちてしまったという。1646年に鄭撥が死亡したという場所に鄭撥をまつる壇を作った。当時の釜山鎮城の南門にあたるという。

その後ここに日本側の釜山倭城が作られた。今も旧暦の4月14日にはここで鄭撥をまつる祭祀が行われている。なお、当時の様子を書いた絵を見ると、日本側は刀を二本持って戦っている絵が描かれている。二本差していることを見て、日本人は二刀流で戦うと思われたからだそうである。

鄭公壇 後ろに古い碑が残り、最初にここを
作った李光国の名前が彫られている。
釜山鎮殉節図(戦争の想像画)
より(一部)

前のページ    HOME     目次    次のページ