大覚寺(旧浄土真宗大谷派東本願寺釜山別院)

竜頭山のすぐ下、国際市場の入り口にある寺である。戦前は本願寺の別院で、明治10年に創建された当時の朝鮮ではもっとも古い日本寺院であった。初代の僧侶、奥村圓信は九州唐津の釜山海高徳寺の出身である。

ここは文禄・慶長の役の直前に当時の富山浦で日本の仏教を布教した寺で、文禄のときには秀吉の命で戦没者供養のために釜山に高徳寺という寺を建てたところとして知られている。本願寺を起こした後、明治13年に仁川、元山の本願寺別院を作り、さらに明治32年には千島の色丹島に転じている。

寺には日本式の灯籠と梵鐘などが残されている。梵鐘の裏には明治23年(1890)作ったものを大正9年(1920)に改鋳したと書かれている。施主は福田増兵衛で対馬生まれ。明治4年(1971)には本拠地を釜山に移した。また釜山の様々な会社の創立、発起人、重役などを歴任している。本堂前に置かれている日本式の灯籠は戦前の本の中にも現れている。

梵鐘 銘板 灯籠(日本時代のもの)

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