影島大橋(釜山大橋)

影島大橋は釜山本土と影島を結ぶ橋である。それまでは渡し船でわたっていた。1931年から作り始め、34年に開通した。釜山側の31メートルは跳ね橋で、釜山側を支点として80度の角度で跳ね上がっていた。両開き指揮だった東京隅田川の勝鬨橋とは趣の違うものであった。開通当時は一日数回定時に開いていたという。

橋脚に埋め込まれた銘板はもともと宇垣一成朝鮮総督によって書かれたものであったが、現在ははめ直されて「影島大橋」となっている。1935年からはこの橋を鉄道も渡っていた。橋は1966年まで跳ね橋の機能を持っていたが、橋の下を水道管が通ることとなり、跳ね上がらなくなった。今でも橋の釜山側には跳ね上げのギアーが残されている。

名称は1980年に新しい釜山大橋の開通にあわせて、影島大橋(通称ヨンドタリ)に変更された。橋のたもと、釜山側にはチャガルチ埋め立ての記念碑、影島側には影島大橋記念碑が置かれている。

戦前の本には跳ね橋の絵がよく
描かれる(釜山案内昭和14年)
影島大橋記念碑 チャガルチ埋立碑

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