儒家の思想を批判して登場したものが道家の思想である。老子と荘子を扱う。
1.老子(実在したかは不明) 老子は万物の根源を道(タオ)とした。 形のあるものではないので、仮に「道(始まりと終わりの意味)」とするが、「無」でもある。 すべてが道から出て道に帰る。 これに対して、儒家の人倫の道は、人間が都合に合わせて作った人為の「道」である。 それなのに、そんな人倫の道が説かれたのは、「大道廃れて仁義あり」だからである。 自然の道が廃れたから、仁義という次善が説かれたのである。
すべてが道から生まれ、道に帰るのだから、それに従えば良いはずである。 即ち、無為自然に生きれば良い。 無為とは何もしないことではなく、自然の秩序に帰り、 本来的に備わっている力を生かすことである。 文明や学問の奨励が、人間を不幸にし、社会に混乱をもたらすのである。 そのためには @本来の生命を損なう作為を捨てること、 すなわち天真爛漫(飾らず自然なこと)、 嬰児復興(赤ん坊のように無欲で、素朴で、無心になる事)が必要である。 A自然に逆らわず、私利私欲や知恵を捨てる、「無欲恬淡」。 B謙遜して敢えて争わない「柔弱謙下」が大切である。 謙遜することで、その人の芯の強さを秘め、最後には勝利を得ることになるのである。 そのようになれば、水が上から下に自然に流れるように タオの流れに従うことが出来る(上善如水)。
このような生き方ができれば、王も政治も学問も必要なく、 自給自足で満ち足りる規模で生活をすればよいということになる。 すなわち村落社会程度の規模が理想となる。これを「小国寡民」という。
2.荘子(前370−300頃) 老子を継いだ荘子は、孟子、荀子と同じ頃の人で、戦国時代末期に生きていた。 苦難を逃れようとしているのに、より大きな苦難に縛られていく人びとが 救済を求めていた時代である。
これを背景に、儒学は理想政治を追究したのに対して、 荘子は、政治を越えた宗教的な次元に、文明の根底的な救済を求めた。 そして次のようなことを説いた。
1.万物斉同 善悪、美醜、是非は人間が決めたもの。美のない醜は存在しないし、その逆もない。 しかし、どれも同じものである。 森の中で猛獣が美人か、そうでないかによって食べるか食べないかを決めることはない。 どれも同じだから、美醜の区別無しに食べるのである。 そのような作為にこだわるから苦なのである。
2.心斎坐忘 一切の対立・差別・偏見にとらわれず、世界と一体になり、
3.逍遙遊 おおらかな絶対自由の境地に遊ぶこと。そのような人が真人なのである。 タオを理論で理解しようとしてはいけない。 そうしようとすることは、すでにタオから外れているのである。 真人とは、タオの流れるままに生きられる人のことを言うのである。
老子、荘子の考え方は、中国に仏教が入るときの基礎となった。 本来、仏教は中国の人にとっては異質な宗教であった。 だが、「道」=「無」が仏教の「空」に準えることが出来、 万物斉同が一切皆苦、諸行無常、諸法無我にあたり、 逍遙遊が涅槃寂静に似ているように、 老荘思想と仏教が同じものであると理解されて、中国で広がった。 (後に別物と認識されるようになる)。 西方に旅立って行方不明になった老子は、 実はインドに渡り、釈迦に会って道を説いたとか、 インドで釈迦になったというような巷説が出来たほどであった。 老荘思想がなければ、日本に仏教が入ることはなかったとも言える。
また、漢詩の世界でも重要な思想である。 科挙が旨く行かなかったり、疲れた人が作詩する場合が多いからである。 李白、杜甫、白楽天、蘇東坡などが代表的である。
|