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2015年2月17日
倫理授業 20150206 日本仏教(4) 中国思想(1)

(B)禅宗
禅とは禅那(dyahna)から来ている言葉で、
座禅による自力修行により、悟りにいたろうとすることである。
すでに、ウパニシャドで我欲を去るために座禅を行っていたが、
それがインドの達磨によって中国に伝えられた。
中国では老荘思想と結びつき、それが日本に流れ込んだ。

栄西は宋に渡り、禅をもたらして臨済宗を開いた。

一方、比叡山で修行をしていた道元は、
当時天台で流行していた本覚論(人はもともと佛である)に基づき、
どのように修行するのかを追求した。

その結果、それは、禅による自己修行であるとして、曹洞宗を開いた。
そのやり方は、ひたすら座禅をする只管打坐を行うこと。
身も心も一切の執着からはなれる境地になれば(身心落脱)悟れるとした。

すなわち、焼香、念仏、礼拝は必要なく、無念無我になればよいとした。
それゆえ、どこであっても場所さえあれば、座禅を組むことが出来る。
だから、武士に流行した。

(C)日蓮宗
 日蓮は千葉県(安房)生まれ。比叡山で修行した。
法華経が最高の法典であり、法華経の考えを広めれば、人々と日本を救えるとした。
そして、法華経に帰依する「南無妙法蓮華経」を「唱題」すれば、
仏陀と一つになり成仏出来るとした。

(D)まとめ
鎌倉仏教の特徴は、信仰を広く民衆にまで普及させたことにある。
教えが、一つの行や信への単純化と実践しやすい易行を説いたことと関係している。
教理体系としての仏教よりも、
末法に生きる個人の精神のささえ、生活の指針、実践救済の原理として信仰されたのである。

中国思想
源流
すでに1万年ほど前から長江流域に稲作遺跡が出ているが、
紀元前5000年頃には黄河流域で黄河文明が発生した。
黄土大地での畑作文明である。紀元前16世紀頃には殷が出現し、
すでに甲骨文字を通じて、様々な信仰が起きていたことが分かっている。

紀元前11世紀頃、が起きた。このあたりの文化が中国(漢民族)の基層文化となる。
特徴は大きく3つある。

1.天帝信仰
天は、宇宙万物の支配者であり(日本には天の思想はない)、
天帝は不徳を罰する道義的な神である。
天は民の幸福を願い、有徳の者を王とする(天命)。
だが、天は具体的に語ったり、行動を起こしたりすることはない。
王は天を祭るが、天の声を直接聞くことは出来ない。
だが、天は民の幸福を願っているのだから、民の願っていることが天の声なのである。

したがって、民の幸福を奪うような悪政を行うと天は怒り、
その王を徳が無いとして変えようとする。天誅を下し、新しい王統に変える。
これが姓を変え、命令を改める易姓革命なのである。

中国や朝鮮の歴史書を読むと、
王政末期に彗星が現れたり、流星が落ちる、飢饉が発生する等の天変地異が
記録されることが多い。これは、そのようなことを背景にしているのである。

また、天は徳のある王とその子孫に地の支配をゆだねる。
その王統の間なのる国の名前が国号である。
従って、王の姓が変わると、国号も変わることになる。

2.易占
3.気 
気は万物の根源であり、無形の物質的流動体である。
陰陽五行などの気の作用、風水なの考え方の下である。

このうち、天の思想が元となって発展したものが儒教。
気の思想が元となって発展したものが道家の思想。
中国の基層文化に天や気が融合したものが、道教ということが出来る。

このようなことをバックに中国思想ができあがるのだが、
その特色は、現実主義的傾向が強いということにまとめられる。すなわち、

 ・天を尊ぶ
 ・祖先祭祀を重んじる
 ・この世の生を愛するということで、
 
儒教は祖先祭祀による再生を願い、仏
教も現世に解脱を見いだす禅宗や、浄土転生を願う浄土教が主流となった。
また、道教も「不死」を願い「長生」を求めている。



Posted by hajimet at 19:36 | Comments (0)

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