第一次世界大戦はヨーロッパが戦場となった戦争である。 自国の戦争でアジアを顧みる余裕はなかった。 一方日本は戦争に参戦したものの、日本本土の損害はなかった。 そのため、欧州に代わって、 中国、インド、東南アジア、アフリカへ生糸、綿糸、綿布を輸出することができた。
さらに、欧米に物資を輸出することで好景気となったアメリカで 高級品の需要が増えたために、高級品の生糸の輸出が増えた。
この結果、日本は大幅な輸出超となった。 明治時代は一貫して輸入超による貿易赤字国であった。 実際、1914年に11億円の債務があった日本は、1920年に27億円の債権国になっていた。
さて、大戦中軍艦の需要が増えたこと、貿易が活発となったことで、船舶が不足した。 そのために、造船業が活発になるとともに、海運業も活発になった。 そして造船の原材料として使われる鉄鋼業も発展した。
さらに大戦によってドイツからの輸入が減少したため、 薬品、染料、肥料などの化学工業が勃興した。 当時、これらの産業はドイツが特に進んでいた (今でも、薬品の名前がドイツ風なのはこれに由来する)。
また化学工業では電気が必要なのだが、このころ長距離送電できる技術が開発された。 電気は単相交流で送電すると、減衰が激しく長距離送電は行いにくい。 三相交流の技術が開発されて減衰せずに長距離送電できる技術が開発され、 1914年会津猪苗代湖で発電された電気を東京まで送電するようになった。 その結果、工業原動力が蒸気機関から電力に移り始めた。
このように工業が発展したことで、工業生産量が農業生産量をこえた。 日本が農業国から工業国に代わったのである。会社数が1.7倍、資本額が3倍に増えた。 一挙に金を儲ける人もいて成金時代とも呼ばれた。西原借款もこのような背景で行われた。
一方で庶民の生活は苦しかった。一般に、景気がよくなるとインフレーションが起こるのだが、 物価の上がり方に給料の上がり方が追いつかず、実質賃金が目減りしてしまったからである。 このことが米騒動や普通選挙運動の伏線となる。
大戦景気は大戦の社会状況によって起きた好景気である。したがって、 大戦終了とともに終結に向かった。
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