6.第一次世界大戦の終結 @アメリカの参戦 17年2月1日 ドイツは「無制限潜水艦作戦」を開始した。 中立国の商船も攻撃すると言うことである。本来、中立国の船を攻撃することは出来ない。
米国は第一次世界大戦に中立を宣言していた。 中立国の立場を利用してヨーロッパに武器を供給し、米国経済は潤っていた。 しかしドイツにとっては、アメリカの武器で戦争が行われている状態を断ちたかった。 特に、この作戦によって米国が商船を出さなくなれば、英国との団結を切ることができ、 英国を倒せると。ドイツは考えた。 だが、結果的にアメリカが参戦したために、ドイツのこの作戦は失敗に終わった。
Aロシア革命 日露戦争の前後から、ロシアでは革命の雰囲気が高まっていた。 16年、首都のペテルブルクで食糧難、燃料難がおこり、これがきっかけに 17年11月3日にペテルブルクでストライキが起きた。 これを鎮圧すべき軍隊は動かず、労働者はソヴィエト(評議会)を作った。 その結果、ニコライ二世は退位し、11月7日、レーニンが一党独裁体制を築いた。 そしてドイツに対して即時停戦した。
新ロシアからすれば、第一次世界大戦は資本家による戦争である。 資本家を否定する社会主義の立場からは、行うことのできない戦争である。 そこで、それまでの条約を破棄するとともに、戦争を即座に終結したのである。 その結果、1917年12月にブレスト・リトフクスク条約を締結して、 ドイツ、オーストリアと単独講和をしてしまった。 ドイツは西部戦線に軍を移そうとしたが、実際には移しきれなかった。 もはや戦車、自動車、ガソリン、ゴムがなかったからである。 第一次世界大戦は、18年8月休戦となった。 また、ドイツでも11月にドイツ革命が起こり、社会民主主義系の国家が成立した。
7.シベリア出兵(ロシア干渉戦争の一つ) 第一次世界大戦は終結に向かう一方で、資本主義国はロシア革命を圧殺しようとした。 フィンランド、シベリア、ウクライナから軍を進めた。 一方、日本はこの機会に北満州、沿海州に勢力圏を拡大しようとした。 満州の利権を分けた日露協約は、もはや存在しなかった。
18年1月、日米にシベリア出兵が要請された。 アメリカは日本のシベリア支配を恐れて慎重な態度をとった。 満州を門戸開放の場としようとしたアメリカにとって、 ここに日本の権益が伸びることは避けたかったのである。 しかし、シベリアに抑留されているチェコスロバキア兵を救済する必要が出てきた。 チェコをオーストリアから独立させるために、チェコ兵10数万がロシアに投降。 ロシア側は反革命勢力として武装解除された上、シベリアに送られたものだった。
7月、米国は「チェコ兵救援」を名目に共同出兵を提案した。 それによって8月、兵力と地域を限定して出兵することとした。 日本は12000の兵力であった。 9月にはシベリア鉄道とその短絡線に沿って、バイカル湖以東を占領した。 日本はシベリアに反革命政府を樹立しようとしていた。 ロシア革命に反対して亡命した「白系ロシア人」も多くいたのである。 そして、占領地域を足場にして中国全土、アジア大陸支配を目指した。 そのため、兵力を20000に増強したが、増兵は日米間の対立を増大することとなった。
20年1月、チェコ軍は引き上げ、アメリカはシベリアから撤退した。 しかし、日本は情勢不安を理由として駐留を続けた。 このような日本の行動はソビエト民衆の反感を高めることとなり、 1920年にはパルチザン(遊撃隊、ゲリラ)が日本人居留民を襲撃する尼港事件も起きている。 日本は22年にシベリアから撤退するが、戦費10億もかけながら、得るところは何もなかった。
|