(2)日本の参戦 第一次世界大戦はヨーロッパの戦争であり、日本が直接参戦する理由はない。 日英同盟は攻守同盟であるが、適用範囲はインド洋までである。 イギリスは8月1日、日本政府に対して参戦の可能性を伝えてきた。 開戦後、イギリスはアジアにおけるドイツ仮装巡洋艦の攻撃を依頼した。 ドイツは商船に仮装した巡洋艦を有していて、 商船だと思って近づいたイギリス軍艦を攻撃していたからである。 第一次世界大戦を日本にとっての天佑と考えていた政府は、 これをきっかけに、8月にドイツに宣戦布告した。 理由は、イギリスからの要請と、アジアにおけるドイツの拠点を一掃することであった。 この動きを見て、イギリスは仮装巡洋艦攻撃の以来を撤回したが、時已に遅かった。 9月以降、膠州湾、南洋群島のドイツ権益を奪取する。 だが、この動きは日本に対する列強の不信感を増加させた。 日本としては、ドイツ権益の接収を認めさせなければならない。 日本は1917年2月、イギリスの要請に従って、海軍の軍艦を地中海に派遣したが、 それはイギリスがドイツ権益の接収を認めたからであった。 (3)21カ条の要求 戦争によって列強は中国事情に目を向ける余裕がなかった。 一方で日本は中国問題を抱えていた。1922年に関東州、満鉄の租借期限が切れるからである。 そこで、この機会を狙って、租借問題を解決することと、日本の中国権益強化をはかろうとした。 1915年1月、日本は北京の袁世凱政権に21カ条の要求を突きつけた。 なお、中華民国成立後、中華民国政府の力が弱かったために、各地に様々な地方政権や 軍閥が出来た。日本政府は、自国の政策にとって有利な政府と、その時ごとに結びつく。 そのために、中国のどの政権と関係を持とうとしたかと言うことに留意しなければならない。 この時は袁世凱政権であった。孫文が中華民国を立てたあと、袁世凱が大総統となっていた。 袁世凱は自己が皇帝になって中華民国を帝国化しようと考えていた。 21カ条の要求の内容は 1.ドイツ権益の継承 2.関東州、満鉄の租借期限の延長(99年間) 3.漢冶萍公司の合弁 4.福建省沿岸の不割譲 5.政府に日本人顧問と、警察の日中合同 2については、同様に満州の利権に関心を持つ米国の抗議があった。 また、5は、秘密条項であったが、第1次日韓協約や第3次日韓協約後の警察日韓合同と 同じく、主権侵奪の意味がある。 日本は1から4までは英仏などに伝えていた。 一方、中国では青島占領に対する不満と、火事場泥棒的な行動に対する抗議行動が広がった。 (現在でも青島は反日運動の中心地の一つだが、それにはこのような背景がある)。 だが、日本政府は5月7日に5項を除いた4項目を最後通牒として突きつけた。 ついに5月9日、要求は中国の調印する所となった。 中国は、何かあったとき諸外国の助けを、当てにすることは出来ないと悟り、 5月9日(のちに5月7日)を国恥記念日と定めた。 租借期限が延びた関東州では、組織の変更が行われ、 それまでの関東都督府が関東庁(行政)と関東軍に分けられた。
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