(6)慈悲 人が今あるのは、他人のとの縁の中であるのだから、他人のことを考える必要もある。 自分が(因縁の中で)生きると言うことは、他人も(因縁の中で)生かせることになる。 したがって、自分だけが生きていくという我執を棄てて(でないと、悟れない)、 他人に対しての慈悲の精神が必要と言うことになる。 慈は他人に対する慈しみ(マイトリー 与楽)。 悲は他人の痛みを自分の痛み同様に感じ、その苦痛を除くことを願う思いやりのここと (カルナー 抜苦)。
マイトリーはマイトレーヤ(弥勒)に通じる。弥勒は56億7千万年後に悟りを開くとき、 衆生に真理を説法をして解脱させるという慈悲の心を持っている。 ちなみに、目黒に羅漢寺があって、ここにバクが祀られている。 今は真言を唱えるようになっているが、40年前、ここでに唱える言葉は「バックヨラク」であった。 また、宮澤賢治は「雨にも負けず」で慈悲の精神を説いている。 彼の文は法華経を背景にしていることが多い。
3.原始仏教 ブッダの死後100年くらいまでの仏教を原始仏教という。 この後、仏教は分裂に向かう。ブッダの死後得t-間になったのは、 ブッダの言葉のどれが真理かをまとめることだった。 ブッダは人の状態によって、その人に合わせて様々な言葉で真理を説いた。 すなわち方便を使用したため(ウソも方便という意味で使うような悪い意味ではない)、 どれが正しい教えかまとめる必要があった。 すなわち法典編纂が行われた。これにより早い段階で阿含経が成立している。
信者は教団生活を行った。教団をサンガ(僧伽)という。 共和制、組合という意味で平等な共同生活を意味する。 ちなみに、僧侶の僧はサンガから来ている。 また、仏教徒の集まる国のことをサンガラーマ(僧伽藍)という。 伽藍のことであるが、伽藍には7つの堂が必要とされた。これを七堂伽藍という。 寺は回廊に囲まれ、一段高い所に作られる。 仏国である須弥山の上にあって、囲まれた仏国を意味する (だから本来は観光などで入る場所ではない)。 そこに、本堂(金堂)、講堂、僧坊、食堂(じきどう)、仏塔(釈迦の墓、ストゥーパから来る)、 経蔵、鐘楼が設けられる。 「うちの寺は七堂伽藍があって」と言われたら「完璧な立派な寺」という意味である。
ここに修行僧が出家して生活をする。彼らは地位や名誉、生活など一切を棄てて ひたすら涅槃を目的とする解脱を目指す。 男性を比丘、女性を比丘尼という。尼僧の尼はここから来ている。
ちなみに、比丘をconperative hillと訳さないように。 サンスクリット語の音に漢字を当てているだけで、漢字自体に意味は無い。 比丘もときどき日本語の会話の中表れる言葉であるが、このような言葉は結構存在する。 かさぶた、あばた、まだら、かわら等がそうであるし、閼伽桶の閼伽(アカ)もそう。 「アカ」は英語のaquaと同じ言葉。 ちなみに、現代語のカルピスもインドの乳酸飲料のサルピスとカルシウムが 合体した商品名である。
これに対して在家信者(在俗信者)は優婆塞(男)、優婆夷(女)という。 彼らは出家者を支える役割をした。そして、三宝(三帰)を信仰する。 すなわち、ブッダ、ダルマ、僧侶(仏法僧)を信仰する。 (コノハズクはブッポーソーと鳴く。ウグイスはホー法華経) そして五戒を守る。五戒とは不殺生、不兪盗、不邪淫、不妄語、不飲酒である。
このように初期の仏教は涅槃を目的として信仰されてきたが、 次第に現世利益を求めるようになってくる。インド文化の基層になっている 輪廻の思想も入り込み、釈迦も何度も生まれ変わり、そのときから 解脱を求めて修行をしてきたから、現世で解脱できたとなった。 そして、インドのヒンドゥー教などで行われている呪術の要素が入ってくるようになっていった。 これは密教のことであるが、日本では真言宗として入ってきている。
そのような方向に向かって仏教が動き始めた。まずは大分裂、部派仏教へと変化していく。
|