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2014年11月20日
倫理授業 20141120 仏教3

2.修行の目的
仏陀の修行の目的は、人生に於いてなぜ悩みがあるのかと言うことであった。
そして、一切皆苦であることを悟った。すなわち、人には逃れられない苦痛がある。
それは「生老病死」という四苦と、「怨憎会苦(会いたくない人に会う苦)」
愛別離苦(愛する者とも別れなければならない)」「求不得苦(欲しくとも得られない)」
五蘊盛苦(人間の存在を構成するもの)」の計八苦がある。

ちなみに五蘊とは(物質)、(体で受け取ること:感覚)、(表象)、(意志)、(識別)
のことを指す。物質は目で感じられるが、それだけでは物質と認識されず、いくつかの段階を
経て初めて「その物質」だと分かる(般若心経に色即是空、空即是色、受想行識、亦復如是
という部分がある)。
 
…実はそういう手順で物事を認識しているのだから、本当に皆が同じように見ているのかは
他人には分からない。もしかすると、見ていると思っているだけかも知れない。
(大乗の話になるのだが)ドラえもんはのび太が意識不明の間に見ていた夢だという
都市伝説があるが、のび太にとっては「事実」。

ではなぜ苦痛に感じるのか。それは人が世界の真理(法:ダルマ)に無知(無明)であるためで、
それゆえに煩悩(除夜の鐘)、渇愛(砂漠で水を求めるように)にとらわれ、
我執(不変のアートマン)するからである。
 
物事は常に変わる。無常である。アートマンなどはない。すなわち無我なのに、常、我と
想うから苦しいのだ。歳取って、病気になるの当たり前のことなのだ。そして、成長している
ように見えていても、すでに衰え始めている部分もある。15歳の生徒が5歳の時が
懐かしいからと言って、5歳のままでいたいと思っても、それは「苦」以外の何物でもない。

3.四諦説と八正道
では、どのように解脱すればよいのか。ブッダは初転法輪で4段階に分けた。
  苦諦:人生は苦
  集諦:苦しむのは我執するから。
  滅諦:原因を無くせば、苦から解脱できる。
  道諦:そのために「正しい修行道(八正道)」を行う必要がある。
      正しいとは極端(快楽、厳格)を避け、中道をとること(中間。適切なこと)。
       cf.寺院の灯籠の基礎に八角形のものが多い。
       ※八正道は資料集で名前だけ確認した。

4.三法印
これをさらに三法印(四法印)で表した。
 a.(一切皆苦)

 b.諸行無常
すべてのこのは常に同じではない。常に変わっている。黒板も30分で(顕微鏡レベルだが)
すり減っている。生徒も色々変わっている。授業の初めに元気であっても、「睡眠学習」に移行し
ている者もいる。
   cf.平家物語、徒然草、方丈記、いろは歌(ブッダの前世の物語)

 c.諸法無我
ここでいう法は「存在」のこと。存在するものに永遠不滅のアートマンは存在しない(バラモン
教批判)。常に変わる。でも存在している。それはたまたま色々なものの関係によって存在
しているに過ぎない。たまたま今の学校に来て、今の友人と会って影響請け合っていて、
今の自分が出来ている。違う学校に行ったら違った人生、人格になっていたはずである。
そのことに気がつけば、

 d.涅槃寂静
涅槃はニルヴァーナの音訳。火を吹き消した静寂のこと。静寂な世界に解脱できると言うこと。

ここで分かるように、仏陀は輪廻転生については語っていない。生そのものが無常であり、無我
であるわけだから、仮に魂があって輪廻転生したとしても、それはその先の話であって、今とは
関係ない世界の話になる。むしろ、輪廻転生を否定することになる。輪廻転生後を視野に入れ
るウパニシャドと異なり、あくまでも現世の問題、現世の解脱をテーマにしているのである

5.縁起
仏陀によればこの世界に永遠不滅の実体は存在しない。事物は他者との相依相関の中で存在
するにすぎない。今存在することは様々な関係の中で存在しているに過ぎない。花は種()と
成長要因()によって咲く。種だけでは芽吹かないし、水だけではヒマワリは花までたどり着かない。料理は素材だけでなく、調味料などの調理を経て初めて作品となる。すべてのものは因縁によって起こる(縁起)のである。


Posted by hajimet at 21:39 | Comments (0)

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