2.修行の目的 仏陀の修行の目的は、人生に於いてなぜ悩みがあるのかと言うことであった。 そして、一切皆苦であることを悟った。すなわち、人には逃れられない苦痛がある。 それは「生老病死」という四苦と、「怨憎会苦(会いたくない人に会う苦)」 「愛別離苦(愛する者とも別れなければならない)」「求不得苦(欲しくとも得られない)」 「五蘊盛苦(人間の存在を構成するもの)」の計八苦がある。
ちなみに五蘊とは色(物質)、受(体で受け取ること:感覚)、想(表象)、行(意志)、識(識別) のことを指す。物質は目で感じられるが、それだけでは物質と認識されず、いくつかの段階を 経て初めて「その物質」だと分かる(般若心経に色即是空、空即是色、受想行識、亦復如是 という部分がある)。 …実はそういう手順で物事を認識しているのだから、本当に皆が同じように見ているのかは 他人には分からない。もしかすると、見ていると思っているだけかも知れない。 (大乗の話になるのだが)ドラえもんはのび太が意識不明の間に見ていた夢だという 都市伝説があるが、のび太にとっては「事実」。
ではなぜ苦痛に感じるのか。それは人が世界の真理(法:ダルマ)に無知(無明)であるためで、 それゆえに煩悩(除夜の鐘)、渇愛(砂漠で水を求めるように)にとらわれ、 我執(不変のアートマン)するからである。 物事は常に変わる。無常である。アートマンなどはない。すなわち無我なのに、常、我と 想うから苦しいのだ。歳取って、病気になるの当たり前のことなのだ。そして、成長している ように見えていても、すでに衰え始めている部分もある。15歳の生徒が5歳の時が 懐かしいからと言って、5歳のままでいたいと思っても、それは「苦」以外の何物でもない。
3.四諦説と八正道 では、どのように解脱すればよいのか。ブッダは初転法輪で4段階に分けた。 苦諦:人生は苦 集諦:苦しむのは我執するから。 滅諦:原因を無くせば、苦から解脱できる。 道諦:そのために「正しい修行道(八正道)」を行う必要がある。 正しいとは極端(快楽、厳格)を避け、中道をとること(中間。適切なこと)。 cf.寺院の灯籠の基礎に八角形のものが多い。 ※八正道は資料集で名前だけ確認した。
4.三法印 これをさらに三法印(四法印)で表した。 a.(一切皆苦)
b.諸行無常 すべてのこのは常に同じではない。常に変わっている。黒板も30分で(顕微鏡レベルだが) すり減っている。生徒も色々変わっている。授業の初めに元気であっても、「睡眠学習」に移行し ている者もいる。 cf.平家物語、徒然草、方丈記、いろは歌(ブッダの前世の物語)
c.諸法無我 ここでいう法は「存在」のこと。存在するものに永遠不滅のアートマンは存在しない(バラモン 教批判)。常に変わる。でも存在している。それはたまたま色々なものの関係によって存在 しているに過ぎない。たまたま今の学校に来て、今の友人と会って影響請け合っていて、 今の自分が出来ている。違う学校に行ったら違った人生、人格になっていたはずである。 そのことに気がつけば、
d.涅槃寂静 涅槃はニルヴァーナの音訳。火を吹き消した静寂のこと。静寂な世界に解脱できると言うこと。
ここで分かるように、仏陀は輪廻転生については語っていない。生そのものが無常であり、無我 であるわけだから、仮に魂があって輪廻転生したとしても、それはその先の話であって、今とは 関係ない世界の話になる。むしろ、輪廻転生を否定することになる。輪廻転生後を視野に入れ るウパニシャドと異なり、あくまでも現世の問題、現世の解脱をテーマにしているのである。
5.縁起 仏陀によればこの世界に永遠不滅の実体は存在しない。事物は他者との相依相関の中で存在 するにすぎない。今存在することは様々な関係の中で存在しているに過ぎない。花は種(因)と 成長要因(縁)によって咲く。種だけでは芽吹かないし、水だけではヒマワリは花までたどり着かない。料理は素材だけでなく、調味料などの調理を経て初めて作品となる。すべてのものは因縁によって起こる(縁起)のである。
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