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2014年11月6日
日本史 20141104(2) 日清戦争

日清戦争
日清戦争は豊島沖の海戦によって始まった。
イギリスは当初日清間の衝突に難色を示していたが
日英通商航海条約の締結によって、日本支持に変わっていた。
 
日清戦争だが、宣戦布告は8月1日であった。
戦時国際法によって戦争を始めるためには、次の4段階を踏まなければならない。
1.交渉中止、2.国交断絶、3.宣戦布告、4.両国外交官の交換
この時代、日本は国際法を厳格に守れることを諸外国に示すため、
国際法を厳格に守っている。戦争にも国際法学者を同行させ、
戦後国際法を守ったことを示す本も出している。
 
日清戦争開戦の理由は
・朝鮮の独立
・東洋平和の維持であった。
 
戦争の帰趨は9月に決まった。
平壌(へいじょう、ピョンヤン)の戦闘で陸軍が勝ち、
黄海海戦で北洋艦隊に勝ったからだ。
(北洋艦隊は李鴻章が創設した、清国の近代式軍隊)
 
11月には旅順口を攻撃。遼東半島の先端で、湾口が狭く、水深が深い。
周囲は山に囲まれているため防禦に適している。戦略的に重要な拠点であるため、
日清、日露両戦争ともにここを巡って戦いが行われている。
北洋艦隊はここで船の修繕を行っていた。
 
そして、2月の威海衛の戦いで北洋艦隊は壊滅する。ここは北洋艦隊の拠点であった。
終戦交渉は始まっていたが、日本は威海衛の戦いまで交渉を伸ばしていた。
終戦の条件を日本に有利にするためである。
 
日清戦争に対して、日本国内は歓迎ムード一色であった。
それまで軍事費、条約改正をめぐって対立していた議会は、全会一致で臨時軍事予算を可決し、
民間では福澤が「文明と野蛮の闘い」、内村鑑三が「シナを覚醒させる」とした。
 
このような中で戦争に勝ち、下関条約を結ぶ(4月17日)。
 日本側全権 伊藤博文、陸奥宗光
 清国側全権 李鴻章
 
1.朝鮮の独立を認める。清国との宗属関係に関わるもの一切を廃止
  (これにより日本が朝鮮に進出しやすくなる)
2.遼東半島、台湾、澎湖列島の割譲
  (遼東半島ほぼ全部。のちの関東州よりはるかに広い範囲)
3.銀、2億両の支払い
  (日本の産業革命の進展)
4.揚子江沿い4港(沙市、蘇州、重慶、杭州)の開港。
 (日本が大陸に進出しやすくなる)
 
日本が戦争に勝った理由は、
 1.清国の弱体化と腐敗。
   西太后が権力をもつ時代で、皇帝との二重権力構造になっていた。
   統一的な政策がとれなかった。
 2.近代化のあり方。
   日本が西洋式の近代化路線を採った一方で、清国は中体西用路線をとった。
   清国もそれなりに近代化を進めていたが、限界があった。
 
   政治体制が変わっていないからである。日本は明治維新で新たな政治体制に
   なったため、近代化路線をとることができた。実は戦争が始まるまで、日清どちらが
   優位かははっきりしていなかった。しかし、この戦争で日本が勝ったことによって、
   歴史的には日本の近代化路線の方が優位だったことが確定した。
 
これにより、清国と朝鮮の宗属関係は断たれたのみならず、政治的に清国の影響は排除された。
 
三国干渉
ところが、これに対して、ロシア、フランス、ドイツが抗議をしてきた(1895年4月23日)。
ロシアはフランス、ドイツ、イギリスを誘ったが、イギリスは断った。そのために
三国干渉となった。
 
実は、清国の弱体化にともなって、列強は清に進出しようとして注目し始めていた。
それだけに、日清戦争の帰趨は列強の関心事であった。
 
清は「眠れる獅子」と言われていて、本格的に手を突っ込むことがためらわれていたからである。
しかし、「眠れる獅子」は「死んだ獅子」だった。そのようなことを背景に三国が干渉してきた。
 
遼東半島の返還を要求した。
表向きの理由は
・清国の都を危うくする
・朝鮮の独立を有名無実にするというものだった。
遼東半島から北京が至近距離であること。朝鮮を南北から日本とその勢力が挟むからである。
 
しかし実は、
ロシアは南下政策によってシベリア鉄道をウラジオストークに延ばしているところで、
不凍港を有する遼東半島に注目していた。
つまり、ロシアの進出の拠点を日本が押さえたことに反発した。
 
ドイツ、フランスはロシアの目をバルカン半島から極東に向けさせる目論みがあった。
対立軸を変えようと言うことである。さらに、イギリスと対抗関係にあるフランスは、
これによってイギリスを牽制できるとも考えた。
 
干渉を受けた日本は、5月5日に干渉を受け入れることとした。
 ・戦争をする余裕はないこと。
 ・交渉で妥結する可能性も少ないこと。
 ・これを口実に、清が下関条約の批准を遅らせようとする動きが見えてきたことがある。
 
しかし、国内にとっては「寝耳に水」の事態であった。(つづく)
 

Posted by hajimet at 09:48 | Comments (0)

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