初期議会 憲法制定により、帝国議会が開かれることとなった。 ・第1回衆議院議員選挙 選挙権:25歳以上男子で直接国税15円以上納入している者(制限選挙) 土地で平均1.8ha以上持っている者で、全人口の1.1%、41万人ほど。 議席数:12万人に1議席の割合で、小選挙区制。300議席 被選挙権:30歳以上男子 選挙には民権派が結集してきた(民権運動が議会活動に転換した)。 これに対して、黒田首相は超然主義を宣言した。 選挙の結果:立憲自由党+立憲改進党(民党⇔吏党)で171議席(過半数) ・第1議会 90年11月(山方T) …議会は予算審議を基本とするので、基本的に11月頃に開かれる(現在も) 政府:軍拡のための増税案 主権線(国境)と利益線(朝鮮)防衛のため 民党:民力休養、政費削減を主張(民権運動で主張した地租軽減の流れ) 結果:自由党の一部を切り崩して予算案通過。 ・第2議会 91年11月(松方T) 政府:海軍費増税案 海軍大臣樺山資紀は「日本があるのは薩長政府のおかげ」と「蛮勇演説」を行った。 民党:反対、予算を1割削減して通過させる これに対して政府は予算決議を拒否して衆議院を解散した。 92年、第2回衆議院議員選挙、内務大臣品川弥二郎による大規模な選挙干渉がおこる。 しかし、民党が過半数を占めた。そのため、第3議会(92年5月)は選挙干渉が問題となり、 政府案は通らず、松方内閣は辞任する結果となった。 ・第4議会 92年11月 (伊藤U 元勳内閣) 松方内閣辞任を受けて、再び伊藤内閣が成立した。伊藤は内閣の力を強めるために、 元勳を集めた内閣を作った。 政府:海軍増税案(第2議会からの懸案) 自由党の支持を取り付ける。 和協の詔書:海軍増強のために、内廷費から6年で180万円、官費も10分の1拠出。 →増税案通過。 ◎このころから、自由党は政府に接近する。
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