3.イエスの死 イエスは従兄のヨハネから洗礼を受けた。ヨハネは逮捕され殺される、イエスは伝道を行う。 それは、ヨハネの考えを受け継いだものであった。ただ、ヨハネよりは福音を強調する。 そして、「神の国」は「あなたの心の中にある」とした。 だが、このようなイエスの立場は、律法主義者の反発を買った。一方で、目の前に神の国が 出現することを願った人びとの失望を買った。 イエスは「ユダヤの王を僭称している」として掴まり、処刑される。 宣教開始後わずか3年後のことだった。 その直前香油を掛けられるという事件があった。弟子たちはかけた女を非難したが、 イエスはその女性を庇った。油を掛けられるというのは「油を掛けられし者」=メシアを意味する。 そのとき、ユダはイエスを裏切る決心をした。 掴まる前、最後の晩餐のとき、イエスはペテロにお前は朝までに三回自分を否認するという。 ユダの合図でイエスが掴まった後、ペテロはイエスの弟子であることを否認した。 そして、3回目の否認の時に、鶏が鳴き、イエスの預言が正しかったことに気づく。 また、ユダはもらった銀貨30枚を聖地に投げ入れ自殺した。 掴まったイエスは、十字架にくくりつけられ、ゴルゴダ(髑髏)の丘を登る。 丘の上にはイエスを含め、3人が十字架に掛けられている。 このうち一人は集まった民衆によって助けられるのだが、 助けられたのはイエスでなく、強盗であった。 イエスは「我が神よ、我が神よ、なぜ私を見捨てたもうたか(エリ、エリ、レマ、サバクタニ)と 言って絶命する。 その瞬間、聖書によれば、地震が起き、神殿の幕が上から裂け、死人が甦りと様々な 奇蹟が起きた。この様子を見て、「まことにイエスは神の子であった」とため息をつく。 この奇蹟の様子をとらえて、宗派によっては「神との新たな契約を結んだ」と考える。 その後、マリアが墓に行ったところ、缶の蓋は開きイエスはいなくなっていた。 一方で逃げたペテロの前にイエスが現れ『あなたのそばにいる」と言って消えて行ってしまった。 ここから、「イエスこそキリスト(=メシア)である」という信仰が確立した(復活信仰)。 すなわち イエスの死=人類の罪をあがなう(贖罪) 昇天したイエスは夜の終わりに再びすがたをあらわす(再臨)の思想である。 イエスが再臨し、最後の審判を行い、救済されるか、焼かれてしまうかが決まる。 ※この考え方は、ゾロアスター教(拝火教)から入ったものである。火を信仰する。 ちなみに、蝋燭に火をつけてお参りするのもゾロアスター教からの影響である。 また、最後の審判の時、死んだ人は起こされて審判を受けるということになってるから、 ヨーロッパでは土葬が行われる。一方、異端者は火あぶりになるが、 これは最後の審判を受ける権利すら奪われると言うことを意味している。 (昨年までは、マーラーの復活を扱ったが(ich sterbe, um zu leben)、 むしろユダヤ教思想から来ていると考えられるので、今年度からは扱わない) このようなことから、弟子たちが伝道活動を始めた。当時はローマ帝国のなかであったから、 伝道は広くローマ全体で行われた。パウロはローマまで行き、そこで死亡し埋葬された。 現在のバチカン市国に属するサンピエトロ寺院がそれだとされる(サン=聖なる)
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