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2014年9月30日
日本史授業 20140929 松方財政

自由民権運動が活発な一方、政府は財政再建を行わなければならなかった。
明治10年代半ばは烈しいインフレーションが進行していたからである。その理由は、
 1.西南戦争の戦費支払いのため不換紙幣を多く発行したこと。
 2.76年の銀行条例改正で、発券銀行の兌換義務がなくなり、
  不換紙幣が多く発行されたこと。
 3.幕末以来の輸入超過で、正貨が不足したこと。
 
政府にとっては、歳入の多くが固定額で入ってくる地租であったため、
実質的に歳入が減少し、財政難に陥った。そこで、財政建て直しを図った。
 
1.大隈財政
  すでに大隈重信財務卿は、歳入を増やすために、
   官有物払い下げ
   酒造税の増税を行った。
しかし、官有物払い下げに当たっては、政府の投資額を全額払うことが条件であったため、
当初払い下げ件数は少なかった。

2.松方財政
大隈が1881年失脚すると松方正義が財務卿となった。
松方は、増税によって歳入を増やすと共に、軍事費以外の歳出を抑制した。
それとともに、正貨の蓄積を図るため、デフレ政策を行った(松方デフレ)。
 
1882年、日本銀行を設立。
1883年、国立銀行券の銀行券発券を中止し、市中銀行化させる。
  ようやく、紙幣の価値と正貨の蓄積量が等しくなったために、
1885年、日本銀行が銀兌換券の発行を開始。
  金の蓄積が出来なかったことと、東アジア貿易が銀で成り立っていたことがある。
 
このような対策によって物価が安定した。
このことを背景に
 ・産業革命の開始
 ・政商が鉱工業の払い下げを受けたため、それを元手にした財閥化のきっかけとなる。
一方で、
 ・商工業者の破産が増えた。
 ・米、繭の価格の下落。
   農村の困窮→地租を払えない農民の小作化=寄生地主制の進展
      棄農者が都市に流入。貧困層となる。下級士族の貧困と合わせて社会不安化
       =民権運動に影響。
 
このように様々な影響を与えることとなった。

Posted by hajimet at 15:17 | Comments (0)

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