(4)中庸 プラトンはソクラテスを理論化しようとして、理想主義の観点から理解しようとした。 アリストテレスは、プラトンを深化させたが、それは現実主義の観点からであった。 アリストテレスは、質料と形相の概念を使って、すべてのものが形相を実現しようとすると 説明した。一方で、そのものを実現するためには「努力」が必要になる。 また、それぞれが実現しようとするものを「善」とし、人間では「幸福」であるとも言った。 では、魂はどのようにあるべきなのだろうか。 ソクラテスのように、善美に対する愛知から知行合一だけでは十分でないし、 プラトンのような三分説でも理念的になって仕舞う。 アリストテレスは、徳のありかたを徹底的に現実主義で説明しようとした。 大前提として、徳が魂であり、ロゴスを有することから、それが理性である。 このことはソクラテスも、プラトンも一緒。 だが、形相である魂を実現しようと「努力」するのだから、 最初から理性が実現出来るわけではない。そこで、次のように分類した。 知性的徳----------------------知恵(真実の認識) | 教育により獲得 | | 理性を実現するようにする。| 徳の実現----| ---思慮(欲望の抑制) | |指示 | ↓ 習性的徳-----------勇気、節制、友愛、正義など 修練により獲得 思慮の指示により中庸を選択できること。 中庸とは、たとえば石橋を渡るときに、安全を確認せずに無謀に渡ることでも 臆病になりすぎて、まったく渡らないという両極端でもなく、 様子を見ながら橋を渡っていくことである。 つまり、時と場所に合うような方法で、適切な行動を選択することを言う。 このようにして徳を実現していくのだが、実際の生活でのあるべき姿を善く現している。 何かに取り組むときに、がむしゃらに取り組むだけでは上達しない。 一方で、「○○が上達する法」とか「教則本」のような「入門書」を読むだけ=知識だけでも 上達しない。 知識も必要だし、人に見てもらいながら、体の使い方などの訓練することで、 初めて力が付くし、適切なときに適切な行動がとれるようになる。 そのようなことを表していると言える。 このように、それぞれが「魂」を実現しようとして「努力」するが、 その到達のしかたは、人によって異なる。そのような人が共同で生活しているところが ポリスである。では、ポリスではどのような理屈に基づいて、 人びとが結合していくのだろうか。以下は次回。
|