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2014年9月30日
倫理 20140926 アリストテレス(3)

(4)中庸
プラトンはソクラテスを理論化しようとして、理想主義の観点から理解しようとした。
アリストテレスは、プラトンを深化させたが、それは現実主義の観点からであった。
 
アリストテレスは、質料と形相の概念を使って、すべてのものが形相を実現しようとすると
説明した。一方で、そのものを実現するためには「努力」が必要になる。
また、それぞれが実現しようとするものを「善」とし、人間では「幸福」であるとも言った。
 
では、魂はどのようにあるべきなのだろうか。
ソクラテスのように、善美に対する愛知から知行合一だけでは十分でないし、
プラトンのような三分説でも理念的になって仕舞う。
アリストテレスは、徳のありかたを徹底的に現実主義で説明しようとした。
 
大前提として、徳が魂であり、ロゴスを有することから、それが理性である。
このことはソクラテスも、プラトンも一緒。
 
だが、形相である魂を実現しようと「努力」するのだから、
最初から理性が実現出来るわけではない。そこで、次のように分類した。
 
        知性的徳----------------------知恵(真実の認識)
         | 教育により獲得       |
         | 理性を実現するようにする。|
徳の実現----|                   ---思慮(欲望の抑制)
         |                      |指示
         |                      ↓
        習性的徳-----------勇気、節制、友愛、正義など
            修練により獲得
            思慮の指示により中庸を選択できること。
 
中庸とは、たとえば石橋を渡るときに、安全を確認せずに無謀に渡ることでも
臆病になりすぎて、まったく渡らないという両極端でもなく、
様子を見ながら橋を渡っていくことである。
 
つまり、時と場所に合うような方法で、適切な行動を選択することを言う。
 
このようにして徳を実現していくのだが、実際の生活でのあるべき姿を善く現している。
 
何かに取り組むときに、がむしゃらに取り組むだけでは上達しない。
 
一方で、「○○が上達する法」とか「教則本」のような「入門書」を読むだけ=知識だけでも
上達しない。
 
知識も必要だし、人に見てもらいながら、体の使い方などの訓練することで、
初めて力が付くし、適切なときに適切な行動がとれるようになる。
そのようなことを表していると言える。
 
このように、それぞれが「魂」を実現しようとして「努力」するが、
その到達のしかたは、人によって異なる。そのような人が共同で生活しているところが
ポリスである。では、ポリスではどのような理屈に基づいて、
人びとが結合していくのだろうか。以下は次回。
 

Posted by hajimet at 14:45 | Comments (0)

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