1.もう一度ソクラテス ソクラテスの時代、ソフィストが「上手く生きる」ための弁論術を教授していたのに対して、 ソクラテスは「善く生きる」ことを主眼とした。 名誉や金銭は死んで以降は自分と関係なくなる。 それゆえ、永久不滅の「魂」のことを「配慮」することが大切だと考えた。 ソクラテスは、ギリシア人にとって最高の価値であった 真の「善美」が何かが分からないことに気がついた(無知の知)。 善美が何かを知らない事に気がつけば、魂は善美を知ろうとする。 善美に合わせて行動しようとするから(知行合一)、 「善く」行動しようとする(知徳合一:徳は知なり)。 それが幸せな状態なのだから福と徳は一致するとした。 そのような「無知の知」を「無知」であることすら「無知」である人びとに、 問答法で気がつかせようとした。だが、その結果待っていたのは、奸計による死刑判決である。 未だに解決できない、「ソクラテスの死」という結果になった。 しかし、そのとき、ソクラテスは嬉しそうだったとも言う。 死んで魂が肉体を離れれば、真の善美を見ることが出来るからである。 2 プラトン そのようなソクラテスの死に衝撃を受けた人物の一人がプラトンであった。 プラトンとは肩幅の広い人という意味である。 プラトンは二元論(見える世界、見えない世界)で説明し、理想主義で考えた。 この考えは現在のヨーロッパにも強く影響を与えている。 cf.過去にピュタゴラスが二元論的な理論構成をしていた。 プラトンは青年時代政治家を志望した(だから、つねに政治のことは意識している)。 20歳の頃ソクラテスに弟子入りしたが、28歳の時にソクラテスの死に直面する。 師に脱獄を勧めても、それを聞かずに死んでいった。 それに衝撃を受けたプラトンは、師の考えが何だったのか考えるようになる (実は、ソクラテスは何かを言っているようで、確信的なことは何も何も言っていない)。
その後南イタリアへ行きピュタゴラス派の人びとと接触する。 アテネに帰r、357年、アカデモスの森に学園アカデメイアを作る。 この学校は紀元後529年まで、約900年続く。 そこでの標語は、 「幾何学を知らぬもの、この門を入るべからず」であった。 プラトンが数学に関心があったこともわかるが、実は現在でもこの考え方は間違いではない。 特に文系は、数学的思考=論理的思考が必要なのである。 さて、プラトンは一生かけて、師、ソクラテスの言動、行動の意味を理論化しようとしたといえる。 3.イデア論 ソクラテスが「善美」と言ったものは、どのようなものか。 プラトンはイデア(>idein=見る)という言葉で説明しようとした。 事物の本質は永遠、不偏で普遍的なものと捉えようとしたのである。 たとえば、三角形で考えてみる。 三角形と言ってもいろいろな形状をしている。 しかし、私たちは、そのどれを見て、どれもが三角形であると分かる。 なぜ分かるのだろうか? 生徒:頭の中で三角形だと分かるから 教員:なぜ? 生徒:3つの頂点があるから。 教員:なるほど三角形が三角形と言える定義は? 生徒:三辺からなる図形 3つの頂点からなる図形 一辺と両端角からなる図形。 教員:頂点は辺が合わさることによって出来るから、この定義はどれも辺との関係で考える。 では、辺とは何か? 生徒:直線です。 教員:直線とは? 生徒:まっすぐな線です。 教員:まっすぐとは? 生徒:始まりも終わりもない線です。 教員:それが、どういう状態だとまっすぐと決まるのか。中学の時にどう習ったか? 生徒:………任意の二点を最短距離で結ぶ線です。 教員:ところで「線」に幅はあるのか? 生徒:ありません。 教員:では、そういう条件の直線に囲まれた三角形を描くことが出来るか。 生徒:(暫く考えて)出来ません。 教員:出来ないね。ということは、現実には「正しい」三角形はどこにも存在していない。 存在していないけれども、頭の中でイメージは出来る。 そのようにイメージさせる本質がイデア。 イデアが本質なら、本質は感覚で認識するのではなく、理性で認識することになる。 (二元論) このように、本質がイデアということなら、イデアこそ「真の実在」である。 自分たちが感覚から「実在」と思い込んでいるものは、変化生生するものだから、 仮のものでしかない。 視点を変えれば、部活などで、自分の目標とする理想の人がいる(人が多い)はず。 その人は、今生きている人もいるかもしれないが、過去の人もいるだろう。 実際にはイメージの中に存在しているのであって、今目の前に実在するわけではない (どこかで会う可能性もあるが、ここでは除く)。 その人のようになろうとしても、その人になる事はない。 その人に近づけたとしても、自分は自分であって、その人ではない。 さて、三角形のイデアを頭の中でイメージ出来るとすれば、 そのイメージは生まれる前の魂の状態の時から持っていなければならない。 魂は生まれる前にイデアを知っていたのである。 しかしイデア界にいた魂は、イデア界から堕落し、 「肉体の牢獄」に閉じ込められている(ピュタゴラスの影響)。 だからイデアのことを忘れてしまった。 ソクラテスは「問答法」によって、善美=イデアについて無知だと言うことを 気づかせようとしたのだ。 生まれつき洞窟中に閉じ込められ、前方しか見られない人が、 世界は前方の壁だけだと思っていることと同じ。 実は洞窟には外が有り、太陽が照りつけている。イデアはその外にあるのだが、 前しか見られないその人は、イデアの影を「実在」と思い込んでいる。 太陽の方を見る必要があるのだ(洞くつの比喩)。 実際、私たちもテレビや映画で写される画像が実在と思い込むことがある。 だが、現実は映像のイメージとそうとう違うことが多い。現実を見ることが大切。 さて、魂がイデアがあることを知ってしまった。魂は目覚めてしまった。 忘れていた世界を思い出し始めた。すると魂はどうなるのか。それは次回。
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