昼食後、まず高住神社に寄る。ここも豊前坊という僧坊の跡。天狗信仰のある神社で、本殿の後ろは切り立った崖である。本殿も崖の洞窟の中に築かれている。扁額は高住神社ではなく、「豊前坊」。
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.jpg)  ここも廃仏毀釈のときに酷い破壊を受けた。本殿を修築するときに、本殿の下から「豊前坊」と書かれた扁額が出ている。お宮の人から解説を受けながら、お土産に「御神酒」を頂いた。
.jpg)  英彦山を離れ求菩提山(くぼて)に向かう。なかなかの悪路。40分ほどつづら折れ(一部新道)を進む。 求菩提山も釣り鐘状火山で、修験道の山。耶馬溪とほぼ同じ地質構造を持っている。ここは資料館が充実している。英彦山ほどは廃仏毀釈の勢いが強くなかったようで、様々なものが残っている。館内は撮影禁止。
.jpg) .jpg) 続けて岩窟洞。求菩提山の修験者が窟修行をした跡。このような岩窟が多く分布するという。江戸時代の石塔、石仏(一体は北斗七星を祀る)が配置され、天井には飛天が舞う。洞窟は火山岩と、その下部の堆積岩層の境にあり、窟の壁の真ん中付近から水が湧き出している。
 
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.jpg) .jpg) 中津、薦神社。三角池がご神体。秦氏ら渡来族集団が作った溜池とされるが、8世紀には磐井の乱で衰退していた宇佐氏が守る神社になっていた。宇佐神宮の元宮の一つともされ、八幡神が最初に姿を現した所である。宇佐神宮の御神験はこの池のマコモで作られた薦枕で、6年に一度更新されている。社殿のある場所は外宮、池が内宮と呼ばれる。 社殿脇には応神天皇3歳の時の足跡と言われる石が祀られている。
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.jpg) .jpg) 宇佐に入り、小山田社。宇佐は磐井の乱に伴う宇佐氏衰退後、駅館川(やっかんがわ)を境に辛島氏と大神氏の勢力圏に別れるが、宇佐八幡関係はほぼ大神氏の勢力圏側に分布する。小山田社は宇佐八幡が最初に鎮座した鷹居社の次の場所で、この後現在の小倉山に移る。鳥居以外は何も残っていない。
.jpg) .jpg) 鷹居社。駅館川ほとりにある。最初に宇佐八幡はここに鎮座したと言われる。
  瀬社(郡瀬〔ごうせ〕神社)。 駅館川の反対側、辛島氏側にある。近くには辛島という地名もある。宇佐宇津高島に下った八幡神は紀伊名草海島、吉備神島と渡って、宇佐郡馬城嶺に現われ、乙梼ミ、 泉社、 当社瀬社、 鷹居社、 小山田社、現社地へと移ったとする。
.jpg) .jpg) 神社脇は駅館川。対岸は鷹居社である。
.jpg) ホテル到着。夕食。

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