旅行4日目。職場の先輩と合流して新羅神の道をたどる旅を始める。 豊後、豊前は渡来人の多かった所で、新羅系渡来人の信仰のあとが強く残っている。新羅仏の流れは英彦山に入り、修験道へと発展する一方で、新羅神信仰は修験道の影響を受けて、宇佐八幡に帰結する。さらに、その宇佐信仰が国東半島に入り六郷満山と呼ばれる独自の仏教・修験文化を創り出す。その流れを神社を中心に見ていこうというのである。 朝9時福岡空港を出発。飯塚に向かう。石炭王伝兵衛も有名だが、今回はテーマと違うのでパス。まっすぐ大分(だいぶ)八幡宮に向かう。筥ア宮の前身となった神社とされ、祭神は八幡神、神功皇后、玉依姫命である。
  山門風の門裏には神像が並んでいる。犬(獅子か?)もいるが、しっかり雄と雌。
.jpg) .jpg) 拝殿裏は山になっていて、そこに大神宮が祀られていた。
.jpg) .jpg) 山門風の門の脇には市杵島神社がある。宗像三神のことであるが、ここの神社はそれを示すかのように、池の中に置かれていた。
 .jpg) また、応神天皇産湯の井戸とされるものもある。石像物も多い。中には石塔もあった。九州では普通目にする石塔と違う形式のものを多く目にする。新羅式の作り方の石塔である。この形は地震に弱いため、外の地域では作られないか、消失するのだが、九州では比較的長い期間、この形式でも塔が作られたようだ。
.jpg) .jpg) 続いて大分廃寺跡。塔の後だけ残る。8世紀初めの創建。夕方見る予定の天台寺跡と同じ新羅系の瓦が発見されている。
 続いて桂川(けいせん)の大塚古墳を見た後、嘉麻の山野の石像群を見学に。若八幡神社の向かいの山で、様々な神社が置かれている。おそらく若八幡の摂社であろう。石像群は祇園社の後ろにある。元々は露天だったそうだが、現在は覆い屋の中に保存されている。記録では1271年に寄進された五百羅漢で、宇佐八幡宮と繋がりの強い地だったうえ に、豊前の五百羅漢に準えたものではないかとされている。
 .jpg) これらを見学した後、今日のメイン、香春に向かって出発。
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