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2014年7月18日 |
倫理 20140717 ソクラテス(2) |
B善く生きる では、ソクラテスの言う「無知」とは何なのか。 まず、ソクラテスは人間にとっての徳を「知」と捉えた( 徳は知なり)。そして真の自分は魂(プシュケー)であって、名誉や金ではない。名誉や金は、死んだ後に自分とは関係ない。自分に附属するだけなのである。その魂が良くなるように配慮することが大切である(魂への配慮)。 人は誰しも善美正(ギリシア人が最高の価値と考えているもので、そのまま覚えること)を望む。悪くなろうと思う人はいない。 「善とは何か」。そのことに「無知」であることに気がつけば、魂は「知ろう」として、実現しようとする。そうなれば、 @知識と行為は不可分(知行合一) A徳が何かに気がつけば、徳についての知識で行動する(知徳合一) B幸福とは望んでいることの実現(福徳一致)となる。 Cソクラテスの死 だが、ソクラテスは「死んだ」…。ただ死んだだけではなく、その死の意味が未だに解決していない。ソクラテスは若者に「無知の知」を伝えようとして、多くの支持を受けた。しかし、ソフィストは自己の立場を否定されることになるので、ソクラテスを言いがかりを付けて逮捕し、死刑判決を出した。 ソクラテスは死刑になるまで幽閉されるが、弟子たちはソクラテスに脱獄を勧める。不正な判決に従う必要ないというのである(内容は不正)。 (なお、ソクラテスに自著はない。正しいことを言っているのなら、文章など残さなくとも、それは伝わると言ったからである。ここで扱っているソクラテスの内容はプラトンなどの弟子が書き残したことである) しかし、ソクラテスは脱獄を受け入れなかった。アテネ市民の自分は、そのアテネの判決によって死刑判決を出されたのだから、判決に従うべきであるというのだ(判決そのものは正)。 そしてその日が来た。弟子たちの見守る中、毒人参のエキスを飲んで死んでいった。最後の言葉は「アスクレピオスに鶏を一羽」だった。なお、最後にソクラテスが吐いた息の酸素分子を、我々は呼吸のたびに5個ずつ吸っているそうだ…)。ソクラテスは死んだが、その死は何を問いかけているか。整理すると、 @不正な判決を受けて死ぬか(無実) A不正な脱獄を行って生きるか(判決は法、正) @は判決の内容は不正。これによって死刑になる事は正しいことではない。一方でAの行動を採った場合、ソクラテスは「善く生きた」ことになるのか。法律学では「悪法もまた法なり」という法格言があって、法律がある以上、従わなければならないのだが、それが「悪法」であった場合、従わないということも考えられる。しかし、従わないことによって、制裁を受けることになる。それでよいのか。 あるいは、法改正に持ち込むことも出来る。「正しきを改む」にならないようにするにはどうしたらよいのか。きわめて現代的な問題でもあるのである。 ソクラテスは「栄光あるアテネ市民として『善く生きる』、国法に従って死ぬことが『正義』」とした。しかし、ソクラテス自身「アテネ市民」と限定してしか語っていない。「人」として死刑を受け入れるかについては語っていないのである。 あくまでも、この死によって「善く生きる」事を実践しようとしたのだ。そして、死刑の日は嬉しそうだったという。肉体から離れた魂は「善美」を見られるからだ。この世に「善美そのもの」はないからだ。 この死に衝撃を受けたソクラテスの弟子がいた。プラトンである。彼は一生かけて「ソクラテスの死」と向き合った。そして、ソクラテスが見ようとした「善美そのもの」が何かを追究した。 |
Posted by hajimet at 14:48
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