自然哲学 ギリシア本土では紀元前8世紀にポリスが成立した。 そこでは、城壁に囲まれた中に、神々を祀るアクロポリスがあった。 アクロポリスの麓には円形劇場が置かれ、 舞台と客席の間の半円形の場所であるオルケストラで 楽器の演奏やコロス(コーラス)が行われた。 また、アゴラでは対等な立場で議論を行うなど、ロゴス(ことば)を分け合っていた。 しかし、ギリシアは土地が狭いため、植民市に多くの人が移動した。 その一つ、イオニア地方(現在のトルコ〔小アジア〕)で自然哲学が発生した。、 自然哲学が発生した条件は以下の通り。 1.地中海交通の十字路 そのため商業が発達した。貨幣経済であるため、抽象的思考が発達した。 2.様々な民族の存在 これまでギリシア本土ではギリシア人以外をバルバロイ(Barbarian)としてさげすんでいた。 ギリシアの中だけでは自分たちの神話だけの世界で完結するが、 イオニアではそうはいかなかった。自分たちの観念と異なる神話を持つ民族と会う。 この中でそれまでの固定的な先入観や観念で物を見ることが出来なくなった。 3.オリエントの文化との接触 彼らの測地術や占星術は、イオニアの人びとの知的関心を大いに刺激した。 もともと人は好奇心が強い。 4.貧富の格差の拡大 富者は銭湯で横になりながら、「思索のためのスコーレ(〔→school〕余暇)を 楽しんだ(cf.マズロー、欲求の階層構造)。考える余裕があったと言うこと。 ギリシア人は現実生活に関係ないことを考える性向を持っていた。 @タレス(ca.BC624-ca.547)=自然哲学の父 そのような中で自然哲学が発生した。自分たちの基礎となるものは何か。 神がいるとして、「その神」は何から出来ていくのか。人は死ぬし、自然は変化するが、 変わりゆく自然の中で変わらない物(根源、始原=アルケー、cf. architectural)は何かを 追究しようとした。 タレスは、商人、政治家で各地を旅行していた。日食を予言して当てたり、 哲学者は先のことが分かるべきだとして天気予報を行ったり、 オリーブオイルの搾り器を作って大もうけをしたり、逸話はたくさんある。 思索好きで、星を観察していて溝に落ちて、「足下も分からないのに、上のことが分かるの?」と 言われた逸話も残っている。 彼は、「万物は水である」とした。 もともとオリエントの地域は大地は水か出来ているという発想があった。地震があるからである。そこからヒントを得たのだろう。 ・生きている物は水分を有す。 ・食べ物は水分を有す。 ・火も水分を有す(冷たいものを火の上にかざすと水滴がつくし、火が消えるとシモが降りる)。 ・死んだ種は乾いている。 このように色々変化するが、水だけは変化しない。故に万物は水だとした。 火、空気は水の蒸発物であり、土は水のオリ物である。 タレスは自己の見解を絶対視しなかった。議論しようとしつつ、アルケーを見付けようとした。 ロゴスを分け合う対等な人同士、議論をしようとした。批判を許したのだ。 タレスの見解に、弟子のアナクシマンドロスは疑問を持った。 すべてが水なら、我々の世界は水没してしまうし(現実には空間が広がり、星が一面に輝く)、 海岸線がある。ということは、水は有限だと言うことになる。そこで師匠と違う結論に至った (以下、次回)
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