青年期
児童期、青年期、成人期と移項するが、すでに児童期と同じ行動は出来なくなっている。 小学校の高学年になるとギャングエイジといって、何でも徒党を組んで行動していたはず。 (1)青年期とは 「第二の誕生」(ルソー 『エミール』) 第1の誕生 生存するため=人間として 第2の誕生 生きるため=男性、女性として 「疾風怒濤の時代」(ゲーテ『若きウェルテルの悩み』。 (2)区分(色々な分け方があるが一番分かりやすいものとして) 前期:中学校(まだ児童期の要素が残っている時期) 中期:高等学校 後期:大学(成人の要素が強くなってくる時期) (3)青年期の原因 第2次性徴がおこるから。 性ホルモンの関係で突然身体が変化する。それまでも緩やかに成長していたものが、突然伸張が伸び始めたり、声変わりしたり、体つきが変わったりする。それとともに、子供が産める、作れる体に変わる。性的衝動も起きる。これまでの自分と違った自分が突然出現することで、「自分に何が起こっているのだろう」という一種の混乱状態になる。 一方で「自分に何が起こっているのだろう」というところから、「自分って何?」と考えるようになる(無意識に)。それにより「自我=自分を外から客観的に見つめられる状態」が目覚める。そして、自分をよく評価したり、悪くしたりする。また、最初のうちは容姿に注目が行くため、突然化粧を始めたり、髪型を気にするようになる。さらに自分は認められているのか、そうでないのかとか、もっと性格を良く出来ないかなどと悩むようになる。 自分が何物かに注目すると言うことは、親との距離のとり方も変わることを意味する。それまでは親のもと「良い子」であれば良かったわけだが、「自分が自分であること」に意識が向けば親との距離のとり方も変わってくる。「親とは違う自分」を意識するようになるから。だから、親の言うことが「うざったく」聞こえることもあって、つい反発してしまう。つまり「心理的離乳」の時期であり、「第二次反抗期」の時期でもある。 (3)青年期の時代的変化 だが、青年期は昔からあった訳ではない。元服を行うと翌日から大人だった。名前を幼名から大人の名前に変え、髷も変わる。その日から大人である。バンジージャンプとか猛獣を射止めることが出来ればその日から大人という部族もいる。 このような「通過儀礼(イニシエーション)」を経て大人になる。これらの儀式はどれも擬死体験(子供の死と大人としての再生)の様子を持っている。子供の時の名前はもう使わないわけだから。つまり子供と大人しかなく、子供は「小さな大人」であった。だからシンデレラの前半の話が成り立つ(母親に大人と同じ仕事をさせられる)。 この辺りのことをマーガレット・ミードは「サモアの青春」で明らかにした。 しかし、身分制度が崩壊し、職業選択が自由となると、それまで家庭などで行われていた職業教育が出来なくなる。医者の家は医者となるように定められ、医術を身につけたら、「明日から独立だ」というわけにはいかないのだ。 だから、教育機関で職業に就けるための基礎教育をするようになる。すると、体は大人(子供を産める、作れる状態)なのに、社会の要求する大人になる時期はもっと後になる。体が大人になってから、社会の要求する大人までの間は「子供でもない、大人でもない。もう子供じゃないんだから、まだ子供なんだから」の期間。これが青年期。レヴィンは周辺人、境界人と言った。 2枚繋がった切手の絵を描いて、絵の部分が児童期と成人期。この両方の間の白い部分が青年期。どちらから見ても余白。どちらにもなれない。この部分をマージンという。周辺人の元語は「マージナルマン」である。 だから今子供の格好をして一緒に追いかけっこをしたり、砂掘りをしたりは出来ないはず…。かといって大人のつきあいも出来ないはず。 だが、このような期間は時代を経るとともに長くなっている。理系は博士(研究者として自立できるのが博士)まで行くことが必要となる分野も多い。社会に出るのはそれだけ遅くなるから、「青年期も延長」されることにある。
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