前回の続き 人間とは(1)言語を使う動物、(2)集団生活をする動物 (2)集団生活。 (前回からの続き)人間が集団生活をするための規範には、道徳、慣習、法律などがある。このうち道徳は内面に働きかけるもので、現実社会における制裁はない。慣習はマナーなどで、これを破ると社会的制裁がある(日韓の食事のマナーの違いを例にして説明をした。人と接するときの距離の違いを使って説明したクラスもある)。法律は国家が制裁する。人の命も奪える最も強い制裁を持つ規範。 人間は社会の中で生活するから、その社会の中で人間が形成される。それだけに、その時代とともに変わる社会の中でどう生きるかが問題になる。時代により判断基準が変わるから。 一方で人間であるという枠組みの中で、時代を超えて追究される普遍的なものもある。「よく生きる」=人としてどう生きるかである。普遍性を持つから、古代ギリシアや古代中国の思想が今でも問題になる。 実は、社会の中で「生き始める」時期が青年期。肉体的にも精神的にも発達するから。「それまで家族の言うことを聴いていれば良かったのに、最近は親の言うことは「うるさく」感じるでしょ?反抗していない?」。「当然反抗していま〜す。」だから考えることが必要。 (3)人間とは(先人の言葉) 考える葦…パスカル。 天子にも悪魔にもなる…ペスタロッチ 知性人(ホモサピエンス)…リンネ 宗教人(ホモ・レリギシースス) 工作人(ホモ・ファーベル)…ベルクソン 遊戯人(ホモ・ルーデンス)…ホイジンガー 遊戯人について (導入)「何部?、何故それをやっているの?。それをやることで何かメリットがあるの?」と 遊戯は何の物理的利害とも結びつかず、利得を求めるものでもない(純粋にやりたいからやると言うこと。それで金を稼ぐとか、名誉をえるということではない)。 しかし、規定した時間(部活の時間)と空間(サッカーはサッカー場で)で、厳格に決められた規則に従う(サッカーボールを手に持ってタックルはしない)。そして秩序正しく進行する。 秘密に取り囲まれ(サッカーの細かいルールはサッカー部の人だけで共有。他の人は知らなくて良い)。日常生活とは違う(勉強時間が日常、そこから解放)。そのため変装する(部活ごとのユニフォーム、バスケのユニフォームでサッカー部が活動することはまずない)。 そんながんじがらめなのに自分がそれを受け入れ従っている。絶対的に拘束される。だが、そのような空間だからこそ、新しいことの発見などがある。そのようなことを言っている。 では、自分たちで「人とは」と定義したらどうなるのだろうか。 次回は青年期(1)
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