« 前のエントリー | Main | 次のエントリー » | Comments | Post a comment
2014年4月19日 |
日本史授業20140418-2 欧米の進出。開国前夜(2) |
3) イギリス ロシアに続けて来航(1808)。 1808年 フェートン号(長崎) (年表を見る)1804年 ナポレオン法典 1805年 トラファルガー海戦 1806年 大陸封鎖 1814年 ウィーン会議 ヨーロッパではナポレオン戦争が行われていた。 長崎出島のオランダ商館を攻撃しに来た。船はオランダ国旗でカモフラージュ。 この当時オランダは日本に来フェートンは出島のオランダ商館を攻撃しようとして来た。オランダ=フランスだったから。 そのようなことが続いたため、1825年、幕府は異国船打払令を出す。 史料:「打ち払いの所」と「間違えても構わない」の部分に線を引く しかし、イギリスは軍事力によって強引に植民地化を進めていた。 1840年にアヘン戦争、1856年にアロー号事件(アロー戦争)。 アヘン戦争はイギリスがインド、中国と三角貿易を行おうとした結果である。 イギリスは中国に輸出するものがなかった。 そのため、中国から金を回収することが出来なかった。 それを回収するため、インドからアヘンを送り、 インドを通じて中国の金を回収しようとした。 cf. アヘンと覚醒剤の違いについて cf.アロー号事件のきっかけについて。 アヘン戦争の様子をみて、不慮の攻撃を避けるために、幕府も体制を改め、 1842年、天保の薪水給与令に改めた(史料)。 1844年、オランダ国王も日本に開国を勧告した。 自国だけで日本貿易を独占出来なくなったこともある。 |
Posted by hajimet at 13:22
| Comments (0)
|
Comments |
Post a comment |