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2014年4月19日
日本史授業20140418-1(欧米の接近1 開国前夜)
開国、
1) 背景。ヨーロッパの変化。
   ・民主主義
   ・産業革命の進展。

 a 蒸気機関の改良(1772)、蒸気機関車の登場(1802)、蒸気船の大西洋を横断(1838)。
  cf.大西洋と太平洋の文字の違いの意味
   〔マゼランの航海と西にある大洋…ハワイが有るか無いかではない)。

 b 大量に安価に生産できるようになったこと。
     原料供給地と市場が必要となる。
     その結果植民地化が行われる+軍事力。
  19世紀後半まで力による植民地化が行われる
  (韓国を植民地にした時は力による植民地化が無理になってきた時期)。

2) ロシア
まず日本に来たのはロシア。
ロシアは15世紀中頃に発展しはじめ、18世紀中頃には沿海州、18世紀末にはアラスカまで進出する。

ロシアのキーワードは南下政策と東進政策〔と言う言葉はないが〕。
  cf.いまのクリミア半島情勢。⇒ここに勢力の衝突がおきると大きな戦争になる。
    かつて数回大きな戦争が起きている。

ロシアのアラスカ進出により、アラスカ−中国貿易が始まる。
陸路やウルップ島を中継地にするのは不便。
同時に千島列島の漁業の問題が出てきた。

そこで日本と交易を求める。
 1792年 ラックスマンが根室に来航(エカチェリーナ二世のとき)。
  船を長崎に回航した後(長崎奉行所:外国に対する唯一の奉行所)、
  鎖国(多分当時は違った言葉を使った)は「祖法」として帰国させた。

つづいて1804年、レザノフが来航。幕府が冷淡だった目、樺太と千島を攻撃して帰国。 幕府も対応として蝦夷地を天領とし、間宮林蔵を探検させて、樺太が島を発見した。
ロシア側はアムール川(図表は黒竜江)の河口と思っていた。
実際に間宮海峡の塩分濃度は低く、流氷が出来るのもその影響。

日本方面への南下政策が失敗したロシアは、その後カリフォルニアに関心を示した。
したがって、ロシア船の来航はとりあえず収まった。
Posted by hajimet at 12:57 | Comments (0)

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