韓国の友人が韓国のヤマダヤという饂飩店で饂飩を食べたときの写真。 よく見ると、いろいろ「違和感」が。韓国の文化に合わせて微妙な変形がおきている。 ウドンは韓国でも食べられている。韓国語でも우동(ウドン)という。 関西風の味で韓国食に飽きたときは本当に助かる。
.jpg) ところで、一方の文化が他方に入るとき、他方に受け入れられるように変化する。 意識的に変える場合もあるが、意識せずとも 自分の文化に合わせて何かしらが変わるものである。 この写真はそのことを語っている 大久保などで食べられる、日本の韓国料理も同じだろう。 …キムチが別料金って、韓国での韓国食に慣れた感覚では信じられないことである…。 ところで、この微妙な「違和感」が日韓の色々な軋轢の元凶ではなかろうか。 多分、ドイツでドイツ人が日本食をお店で出してきた場合、 それが、日本の感覚ではおかしなことであっても、 「それで?、ドイツだからね」で終わるように思う。 テレビで「とんでも日本食」を紹介しているが、「とんでも」を楽しんでいる。 「どうしてこうなっちゃたの?」「ありえへん」と楽しんでいるのだ。 楽しめると言うことは、つまり別物と考えているということだろう、 だが、、韓国は人の姿も、街の様子も、文化的にも あまりにもよく似ているから、かえって微妙な違いが気になる。 そこを面白く感じるか、不愉快に感じるか。 つねに社会の中に両方の層があって、 そのときの社会情勢に応じてどっちが優勢に出てくるかということなのだと思う。 現在の状況は、 これまでの韓流が凄ごすきたから、反動も大きく出ているのだろうと思う。 日本側の事情の一つとしては…。
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