第2日目。朝風呂に入り旅支度。田和山遺跡へ出かける。弥生期の高地性集落であるが、勘合の底から攻撃用の石が出た事と、狭い頂上部に出雲大社と同様の建物の基礎が出てきたことから、祭祀史跡か、防禦集落か見解が分かれるところ(西谷先生は防御施設説)。 ついたときは大雨だったが、山登りの時だけは晴れた。宍道湖に虹も架かっていた。
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 .jpg) ついで神原神社へ行く。下線拡張工事で神社移設の時に、本殿下から方墳と埋葬設備が出てきた。おそらく、加茂岩倉遺跡の祭祀集団が作ったものとされる。
  さらに加茂岩倉遺跡へ。説明中、あられが降ってきた。
 ついで荒神谷遺跡。加茂岩倉とは別集団だが、同じ仏経山を神奈備であるとする説もあるが(西谷説も)、地元の学芸員はそれを明確に否定した。確かに、遺跡から仏経山は見えない。
 さらに西谷墳墓群に行く。古墳と墳墓の違いは古墳時代に作られた、弥生時代かの違い。 何も言われなければ、四隅突出墳だが、まるで古墳だ。2号分、3号分が復元されている。 2号分は破壊が激しかったが、埋葬施設がほぼ確認出来たことが特徴である。
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  午前中の旅程を終えて出雲大社近くの食堂に着いたのは2時近くだった。 出雲そばも出たが、奉書焼きに気づいた人、どれだけいるかな? あまりにも地味な奉書焼きだった。地元名物なのに、余りにも寂しい(続く)。
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