日韓交流史フォーラムの旅行で、金沢、能登方面に行くが、せっかくなので前日、富山に寄ることにした。朝9時過ぎの「とき」で越後湯沢へ。ほくほく線経由で高岡に向かう。東京は桜が終わっていたが、途中越後湯沢はまだ1m近く雪が残っていた。糸魚川で白山が海に落ち込むところを眺める。
.jpg) 高岡では1時間半タクシーをチャーターして、柳田布尾山古墳を見に行く。日本海側最大の前方後方墳で、小高い岡の上からは富山湾、能登半島(写真)、立山まで見ることが出来る。
 .jpg) 古墳が築造されたときは、付近は潟が伸びてきていたから、交易の拠点であった。そこに入る船からよく見えるように作られていた。続けて高岡市内観光(30分しかない)散策。町並みを見たり、高岡大仏、古城公園をめぐる。古城公園は桜が5分咲きくらいであった。
.jpg)  加賀藩2代目藩主前田利長のときに開いた瑞龍寺(入口だけ)と前田利長の墓所を見に行く。
  駆け足で市内を見学して高岡駅に戻る。氷見線の車体のデザインや、列車名の表示板が何となく懐かしい。懐かしいと言えば、改札が自動改札でなかったことも。
.jpg) .jpg) 富山に戻る。杉谷4号墳を見に行く。富山は神通川がながれているが、よみかたが「じんづうがわ」であることに初めて気がついた。杉谷古墳群の中にある杉谷4号墳は弥生時代の末期から古墳時代の初期に築かれた四隅突出墳といわれるもので、出雲で多く作られているものである。この形の古墳が、北陸では越中に最も多いのである。杉谷古墳群は弥生時代の方形周溝墓からある墳墓群で、この地域の首長層のものと考えられているが、出雲との強い繋がりがあったことがわかる。

この地域から越後にかけて、神社にしても気多神社のように大国主命を祀る神社が多く分布していて(能登を中継地点にして広がったか)、出雲との関係は深いようだ。 続いて婦負の里といわれるところの古墳群のうち「六治古塚墳墓」を見る。これも四隅突出墳。その中でも、もっとも墳丘の高さの高いもの。
.jpg) ついで、「富山湾寿司」を食べに行く。厚く切った「さより」、赤色のほんのり乗った「ヒラメ」、「アラ」、「シンイカ」、「カニミソ」、「ボタンエビ」など10貫。一緒に飲んだ「勝駒」も美味しい。次に入った店でもメニューにあったので注文したが、「ない」で終わった。寿司を食べたあと、歩いて一度ホテルに戻る。途中、もと神通川筋だった松川の桜を見る。その後、もう一回飲みに行った。

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