12月5日午後。 さらに東へ移動。有馬のセミナリオ跡を見る。キリシタンだった有馬氏の居城日野江城跡の下。 天気予報は荒れると言うことだったが、なんと晴れてきた。

続いて有家(ありえ)に向かう。ここで島原素麺を食べる。 島原の乱後、廃村状態になった島原に小豆島から多くの移民が来て、定着した食材。 続いて、有馬キリシタン史跡公園。有家から山の方に進む。 途中にあった島原鉄道の有家駅の廃線跡は駅舎、ホームがそのまま残っていた。 ここは元々古代以来の仏教の中心地で、そこに墓地が作られた。 周囲にあったものも持ってきて展示している。

類子と彫られた墓碑は、ルイスを意味する。法筺印塔の中に十字が刻まれているものもある。


ここには平安時代の石仏なども置かれていて、 仏教の中心地だったことも分かるようになっている。 直ぐそばに古墳もあるのだが、古来からのこの地の関係を調べる必要があるだろう。 つづいて有家のセミナリヨ跡。

周囲にあったキリシタン墓が保存されている。花十字の彫られているものもある。
さらに、吉利支丹墓碑。土中にあったという。本人の名前や、慶長年間に作られたこと、 イエズス会のIHSという文字が刻まれている。

これを見て、1時間ほど元来た道を戻り、口之津港から鬼池港に戻る。 天草側は雨がぱらついている。 鬼の城公園により、キリシタン墓碑群を見る。 周囲にあったものを集めてきたと言うが、累々たるもの。

何も彫られていないものも多いが、中には3つの十字(三位一体)や、 十と一が彫られているものもある。 「一」は、「私ははじめであり終わりである」という聖書の言葉を指しているという。

ここで時間切れ。松島へと向かう。途中本渡の祇園橋を見る。島原の乱の激戦地。

約1時間。松島のホテル竜宮泊。 岩盤浴がサービスに入っている(気持ち良い)。 夕食は海鮮だが、昨日の旅館よりも上品な作りになっている。 タコの地域らしく、柔らかく煮付けた蛸が美味しい。 一方、醤油が甘い…。

アワビの踊り焼きも始めて目にした。 直ぐ蓋を閉めて蒸し焼きにするので、テレビに映るほどは暴れないが。

夜は、結構な土砂降りだった。
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