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2012年12月7日
天草・南島原紀行(5)

12月5日午後。
さらに東へ移動。有馬のセミナリオ跡を見る。キリシタンだった有馬氏の居城日野江城跡の下。
天気予報は荒れると言うことだったが、なんと晴れてきた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

続いて有家(ありえ)に向かう。ここで島原素麺を食べる。
島原の乱後、廃村状態になった島原に小豆島から多くの移民が来て、定着した食材。
 
続いて、有馬キリシタン史跡公園。有家から山の方に進む。
途中にあった島原鉄道の有家駅の廃線跡は駅舎、ホームがそのまま残っていた。
 
ここは元々古代以来の仏教の中心地で、そこに墓地が作られた。
周囲にあったものも持ってきて展示している。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

類子と彫られた墓碑は、ルイスを意味する。法筺印塔の中に十字が刻まれているものもある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ここには平安時代の石仏なども置かれていて、
仏教の中心地だったことも分かるようになっている。
直ぐそばに古墳もあるのだが、古来からのこの地の関係を調べる必要があるだろう。
 
つづいて有家のセミナリヨ跡。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

周囲にあったキリシタン墓が保存されている。花十字の彫られているものもある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

さらに、吉利支丹墓碑。土中にあったという。本人の名前や、慶長年間に作られたこと、
イエズス会のIHSという文字が刻まれている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

これを見て、1時間ほど元来た道を戻り、口之津港から鬼池港に戻る。
天草側は雨がぱらついている。
鬼の城公園により、キリシタン墓碑群を見る。
周囲にあったものを集めてきたと言うが、累々たるもの。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

何も彫られていないものも多いが、中には3つの十字(三位一体)や、
十と一が彫られているものもある。
「一」は、「私ははじめであり終わりである」という聖書の言葉を指しているという。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ここで時間切れ。松島へと向かう。途中本渡の祇園橋を見る。島原の乱の激戦地。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

約1時間。松島のホテル竜宮泊。
岩盤浴がサービスに入っている(気持ち良い)。
夕食は海鮮だが、昨日の旅館よりも上品な作りになっている。
タコの地域らしく、柔らかく煮付けた蛸が美味しい。
一方、醤油が甘い…。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

アワビの踊り焼きも始めて目にした。
直ぐ蓋を閉めて蒸し焼きにするので、テレビに映るほどは暴れないが。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

夜は、結構な土砂降りだった。
 

Posted by hajimet at 22:44 | Comments (0)

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