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2012年12月7日
天草・南島原紀行(4)

朝8時に下田温泉を出発。鬼池港へ。島原口之津港に渡る。30分。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
すでに、目の前に島原が見えている。天草は船による連絡網が発達している島だ。
横断途中、蜃気楼を見ることが出来た。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
口之津港は明治初期に石炭積み出し港で賑わったが、
からゆきさんを送り出した港としても知られる。
 
一方、島原への南蛮船もここに入港した。その記念碑を見る。
今の海岸線より奥に入ったところで、地形的に干拓を行ったことが分かる。
その手前には廃止された島原鉄道の線路跡が残る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
道路には「踏切注意」の文字が残されていた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
原城に向かう。途中で吉川キリシタン墓碑を見る。
ヨーロッパの樽型墓碑を採用した珍しいものである。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一方で、島原の乱後に作られた墓もここに1つ残っている。
墓の台座にキリストを象徴する「カニ」が彫られ、
そこに「十」が3つ彫られている。これは三位一体を象徴しているそうだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
原城へ行く前にキリシタン供養費を見る。
これも鈴木重成によって建てられたもので、
首3333個を埋葬したと書いてあった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
神社の手水鉢は丸い穴が穿たれているが、
死者の再生と豊穣を願う古代信仰からきたものだとされる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ようやく原城到着。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天草、普賢岳がきれいに見える。城壁は幕府によって破壊されていて、
1.5mの厚さの土で覆われていた。その間に乱の死者や建物に使われた石など
様々の物が捨てられていたという。
 
ほねかみ地蔵や天草四郎の墓を見る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
本丸跡は大変広いところで、多くの人が籠城できたことが分かる。
一方で、三方を囲まれたら、海にしか逃げられないことも分かる。
 
ここから原城文化センターに向かう。
途中に板倉重正供養碑があった。幕府の最初の大将であるが、討ち死にした。
その場所に建てられたという。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その直ぐそばには、キリシタン関連の石が置かれていた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
原城文化センターでは原城から発掘されたものが展示されている。
人骨の様子や、発掘されたロザリオも展示されていた。

 
 

Posted by hajimet at 21:42 | Comments (0)

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