朝8時に下田温泉を出発。鬼池港へ。島原口之津港に渡る。30分。
 すでに、目の前に島原が見えている。天草は船による連絡網が発達している島だ。 横断途中、蜃気楼を見ることが出来た。
 口之津港は明治初期に石炭積み出し港で賑わったが、 からゆきさんを送り出した港としても知られる。 一方、島原への南蛮船もここに入港した。その記念碑を見る。 今の海岸線より奥に入ったところで、地形的に干拓を行ったことが分かる。 その手前には廃止された島原鉄道の線路跡が残る。
 道路には「踏切注意」の文字が残されていた。
 原城に向かう。途中で吉川キリシタン墓碑を見る。 ヨーロッパの樽型墓碑を採用した珍しいものである。
 一方で、島原の乱後に作られた墓もここに1つ残っている。 墓の台座にキリストを象徴する「カニ」が彫られ、 そこに「十」が3つ彫られている。これは三位一体を象徴しているそうだ。
 原城へ行く前にキリシタン供養費を見る。 これも鈴木重成によって建てられたもので、 首3333個を埋葬したと書いてあった。
 神社の手水鉢は丸い穴が穿たれているが、 死者の再生と豊穣を願う古代信仰からきたものだとされる。
 ようやく原城到着。
 天草、普賢岳がきれいに見える。城壁は幕府によって破壊されていて、 1.5mの厚さの土で覆われていた。その間に乱の死者や建物に使われた石など 様々の物が捨てられていたという。 ほねかみ地蔵や天草四郎の墓を見る。
 本丸跡は大変広いところで、多くの人が籠城できたことが分かる。 一方で、三方を囲まれたら、海にしか逃げられないことも分かる。 ここから原城文化センターに向かう。 途中に板倉重正供養碑があった。幕府の最初の大将であるが、討ち死にした。 その場所に建てられたという。
 その直ぐそばには、キリシタン関連の石が置かれていた。
 原城文化センターでは原城から発掘されたものが展示されている。 人骨の様子や、発掘されたロザリオも展示されていた。

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