12月4日午後。 本渡から東向寺へ向かう。曹洞宗の寺で鈴木重成による創建。 キリシタンの学校だったコレジオがあったとされる。
 教会やキリシタン関係の施設があったところは、ことごとく寺院が建てられたという。 仏教によるキリスト教の否定という意味がある。 それはそれとして、山門の裏て稲荷を祀っているのも面白い。 そこから2.5キロ、鈴木神社に行く。三河から来た鈴木重成らが祀られている。
 本殿の真裏には鈴木重成の遺髪を祀る遺髪塚があった。
 社殿の脇には演劇などを奉納できる舞台が作られているが、 座石部分が円形に整えられていて、シアタースタイルで作られていた。
 鈴木神社から富岡城に向かう。非常に狭い、つづら折れの山道を急勾配で上り下りする。 1607年に唐津藩主寺沢広高によって築かれたが、島原の乱の時にキリシタン勢の 攻撃によって、陥とされそうになった所でもある(ここの戦いの後、拠点を原城に移した)。 本丸跡からは陸繋島の地形がよく分かる。
 富岡城跡に続いて、富岡キリシンタン供養碑を見る。 島原の乱の死者の3分の1の首(3333体と言われる)をここに埋めて、 塔としたもので、鈴木重成の手によって供養塔が作られた。
 一番上の文字はよく分かっていないが、種字説によれば、これを種字に使えば、 どんな罪人でも極楽浄土へ行けるという意味で、罪人であったキリシタンでも 許されるという意味になるとする。 たしかに罪人扱いなのだろう。キリシタンを「鬼利志丹」と書いてある。 続いて大江天主堂へ行く。ロマネスク様式のコンクリート造り。 潜在キリシタンが復活キリシタンになった最初の地であった。
 さらに崎津天主堂へ行く。海岸沿いで、とてもきれいな風景。
 教会は、ゴチック様式である。元々庄屋の家を買い取って教会にしたもので、 聖壇の場所は、かつて「踏み絵」を行っている場所であった。
 続いて、コレジオの跡へ。崎津の入り江の一番奥で、天草にキリスト教を布教に来た、 アルメイダの上陸地点である。本渡と並んで、南蛮船が到来した港がここである。 この湾の奥、崎津川を上ったところにコレジオ(天草学林)跡と推定される場所がある。
.jpg) さらに天草コレジヨ館を見る。この当時持ち込まれた西洋楽器や、 グーテンベルクの印刷機の復元がある。 天草本といわれる本をここで印刷したと言われる。 この印刷機は、バテレン追放令後島原に移され、最終的にマカオに運び出されたそうだ。 夕食は伊勢エビ、ヒオウギ貝、アジ、イカなどの刺身、ウツボの刺身(免許が必要だそう)、 車エビの塩焼き(天草が養殖の始まりとか。)ワタリガニ、カワハギの煮付けなど、魚がメイン。 豚のしゃぶしゃぶも。
|