最終日。雨。 瀋陽から集安にかけて、気圧の谷と寒気の影響があったが、 これまで本格的な雨には遭遇しなかった。 朝、ホテルの目の前にある駅前を散策。
 近くの看板を見ていると、キムチの看板が。辣白菜 …「ぴりっと辛い白菜」…確かにそうだ。
 それから、朝食。朝鮮風のものが多いが、飾り唐辛子が、 四川料理などに使われる大ぶりの乾燥唐辛子で、かみ切れない。
 7時半、宿を出発して、城山子山城へ行く。 高句麗の城址だが、尾根に挟み込まれた平地があるという地形で、 山城には最適。韓国的に言えば、明堂にある山城である。山の下には古墳も見える。
 ただし、2つの理由でたどり着けなかった。 一つは道が悪路でありぬかるんでいたばかりか、 高速鉄道の工事で突然寸断されたこと。 もう一つは迂回路が、大型バスが入れなかったこと。 遺跡まで歩いて行くと、飛行機に間に合わない恐れがある。 そこで、そばまで行くことを断念して、市内見学へ。 途中漢族の集落を通る。実は、漢族の集落も多い。 入母屋の朝鮮族の集落と違い、切り妻で作られ、煙突も壁に埋め込まれる。 ペチカのような暖炉が使われるのだろう。
 漢族の集落も多いのだが、朝鮮族と混ざり合っているのは目にできなかった。 同じ集落の中でも、漢族は漢族で、朝鮮族は朝鮮族で固まっているように見えた。 市内に入る。延吉は布尓哈通河を中心に栄えている都市だが、 この河の名前は「柳のきれいな川」という満州語から来ている。 哈爾浜も含めて、満州語由来の地名が多く、あらためて満州語、満州族のことを 知らないと、この地域のことを正確には理解出来ないと思った。 町中は朝鮮語だらけ。
 また、ロシア人が多いことを窺わせる標識も。ここはお土産屋の前。 途中から朝鮮語の分かる人が来たが、それまでは漢族だけ。 チマチョゴリを着ていても漢族。英語で言えと言われたが、 I want to buy a T-shirt がなかなか出てこない…。 中国語で私は「漢族」だから「漢語」でといわれてもね…(このくらいは分かる)
 そして、エリート教育も漢朝両語教育。
 このようなものを眺めながら、空港へ。 搭乗手続きは、荷物検査を受けてから、中に入って手続きをする。 何となく、(普通の空港なら)保安検査の場所が搭乗手続きの場所なのである。 保安検査の時、何故か「トゥイ」と言われた。 最初分からなかったのだが、朝鮮語だった(日本のパスポートを見せたのに)。 そして売店も、当然のように朝鮮語で会話…。 飛行機(KAL)は定刻の12時5分(日本時間13時5分)に扉が閉まった。 隣の席のハルモニはかなり中国語訛りになっている朝鮮語で話しかけてきた。 しかし、いつまでたっても動かない。管制の指示と言うことだった。 飛行機は一旦大連上空に出て、黄海から仁川に回り込むルートをトルのだが、 黄海上のルートは30分に1本しか飛行機を飛ばせないことになっているそうだ。 その間隔の谷間に落ち込んだのだろう。 1時間10分後、飛行機は50mほど動いた。 そこで、またストップ。結局2時間近く遅れて出発した。 一方で、こちらは大慌て。 15時30分に仁川に降りて、韓国に入国して金浦空港に移動して、 19時発の飛行機に乗ることになっている。 機内で、大丈夫かと聞くと「多分大丈夫でしょう(これ、実は危険な表現)」、 「30分前に着けば乗れますよ…(記憶では45分前まで)」。 やはり飛行機はよく揺れる。ついには乗務員も着席。 …機内食は、ウナギの蒲焼き。 17時15分に仁川到着。 大急ぎで入国手続きをするが、指紋と顔写真撮影で結構時間がかかる。 17時30分入国。 今度は荷物が出てこない…。優先タグがついているのに…。 そして、税関を通過して、1万円をウォンに両替。 機内の反応から、金浦に行こうと思ったが、 念のため出口にあるKALのインフォメーションに(複雑な話は日本語で) eチケットを見せながら事情を話したら、顔色が変わった。 「国際線で30分前はない」「延辺からの飛行機が遅れた」と事務に問い合わせ。 結局「仁川−羽田」便に振り替えてもらった。 そして言われたカウンターに行ったら、そこは成田線の搭乗手続カウンター。 言われたところと雰囲気が違う。 案内の人から、成田行きは満席だと言われつつ(英語しかしゃべれない人だった)、 日本語の分かる人に来てもらって(もう韓国語で話すのは限界…疲労優先… 2時間しか寝ていない日の夕方なのだ…日本語の分かる人でなければ ダメだと(韓国語で)強く主張して)、説明。 搭乗手続きの係のその人と、一緒にオペレーターの所に行って、 振り替えの確認して、チケット発行の所に並んだが、 なんと、再発行の必要は無く、搭乗手続きをすれば自動的に振り替えになる事を告げられ、 結局、その係の人の受付で手続きをしてOK。 そして、そのまま出国へ。審査が終わったのは18時25分。 たった55分の入国で、仁川空港の1階から3階まで行っただけ。 ウォンは円に戻さず、次回のためにとっておく。 中で名古屋のメンバーと再会し、お別れ。 そして、食堂で(普段は帰国の時に韓国食は絶対に食べないのだが)、 ユッケジャンを食べる。慣れた味で美味しかった。 朝鮮族の料理も、油浸しの漢族料理よりは美味しいのだが、 やはりどこか違う。ソウルで食べて、ホッとしたと共に疲れた噴き出してきた。 帰りのKALの機内食は、プルコギご飯。4回乗ったKALのなかで、唯一の韓国食。 家到着は12時だった。 さすがに強行軍で、そのあと1週間、どこか疲れの残りを感じた。 今回は時差の違いは意識しなかった。前回のときは体の時間を 中国時間にしたために、その後1週間近く変だったのだが、 今回は、早起きが多かったので、基本的に日本時間を意識するようにしていたのだ。 そのため、時差はそれほど問題なかった。 さて、今回は古代と共に、ロシアと日本を意識しつつ旅行するつもりだった。 しかし、随所で、満族の影を感じさせる旅行となった。 中国東北を語るときに、満族は抜きに語れないと感じたのである。 これから、少し勉強したいと思う。 それとともに、この地域の、歴史的包容力の大きさも感じた。ともかく面白い地域である。 特に、延辺はすこしこだわりたいと思う。 自分の関心のある人物も、この地で活躍しているのだから…。 それとともに、一度北京と上海を見なければ…。2回も東北に行っているのに、 首都を見ないのも…。
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