« 前のエントリー | Main | 次のエントリー » | Comments | Post a comment


2012年6月12日
中国東北史跡紀行6日目(6月1日)

朝、早めに起きてホテル周辺を散策。
近くの学校では運動会を行っていた。
この日は国際児童デーとのことで、中国ではこどもの日である。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
普段からもそうだと聞いているが、周囲には露店が出ていて、
学校の入口には食べ物屋が出ていた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そのすぐ前が朝市。朝鮮族か漢族かは見ると直ぐ分かる。
トラジを売っている朝鮮族。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これはどっちだろう。赤唐辛子はなく、青唐辛子しか売っていなかったが、
大ぶりなものしか売っていない。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
朝鮮族のチジミ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
漢族の油条、隣は饅頭屋

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
朝鮮族の漬物屋。
これまで中国で食べるキムチは色が薄く、発酵も弱いと思ったが、
これを見てはっきりと分かった。
朝鮮族の味付けなのだ。朝鮮族の多くは北朝鮮の地域から入ってきている。
そのため、北式の味なのだ。ソウルにいた平壌出身の故人が、
ソウルのキムチは赤くて辛くて食べられないと行っていたことを思い出した。
他に鮒を売っているところもあって、内陸にいることを感じさせる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
7時過ぎに出発。関馬山城を見ながら、通化へ。
通化の航空隊の跡を見ながら(今も人民解放軍がいる)、長春へ。合計6時間。
有料一般道を北上し、梅河江から高速に入る。
バスは盛んに警笛をならす。
 
以前、道ばたで携帯電話で話をしたとき通過した車から盛んに警笛を鳴らされ、
不思議に思ったが、今回見ていると「車が通過するから、余計なコトするな」という
意味だと言うことが分かった。
 
その手前、熱河駅前で休憩。駅前有料トイレは…別にきれいではなかった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
梅花江から乗った高速のトイレは、新しくきれいなものだった。
書かれていることはどこも一緒。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
長春でようやく昼食。時間はなんと2時半。文革をイメージした店だった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
中には、当時の風刺画や、新聞が貼られている。これはこれで貴重な資料。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その後吉林省博物館へ。漢景帝の陵から出土したものの展示を行っていた。
宦官の俑があるところが珍しいとされる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その後市内観光。満鉄附属地に作られた日本の遺構を中心に見る。
長春以南はポーツマス条約で日本の勢力圏となったところだ。
東清鉄道もここで満鉄に乗り換えになる。
ハルビンがロシアのショーウィンドウになったのに対して、
長春は日本側のショーウィンドウであった。
一方で文化はロシア側から流れ、旧大和ホテルのようにアールヌーヴォーが流行った。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
また、関東軍司令部のように帝冠式の建物もある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さらに国務院のような興亜式+満州様式の建物も見られる(官庁街は興亜式)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
途中でお土産のウーロン茶の店に行き、見学。それか食事。
韓国料理。集安では冷麺は夏場は衛生面の問題があって出せないと言われたが、
ここではメインに出てきた。そして何の問題も無かった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ホテルは日中友好会館。ガイドブックには日本語が通じることになっているが、
通じない。今回日本語が通じたのは瀋陽だけであった。ほとんどの所が通じる筈なのに。
 
長春のガイド氏の話によると、賃金が安く、なかなかホテルに留まらないとのことだった。
 
 
 

Posted by hajimet at 21:24 | Comments (0)

Comments


Post a comment