東北紀行5日目。そろそろ中華に飽きつつ、朝食。饅頭が中心だが、 くずきりのようなものや、黄色いカボチャ(美味しくない)もあった。 通化を出発して、集安に。1時間ほど走ったところで休憩。 6年前もきれいなトイレがあると言うことで休憩した場所だった。 腰をかがめて頭が隠れるくらい。立ったままズボンを下ろせないくらい低い扉である。 ちなみに、紙はホテルの公衆トイレのようなところでも備えていない。 そのため、ホテルの部屋からトイレットペーパーを持ってきて、鞄の中に忍ばせていた。 売店のおばさんは韓国語で話しかけてくる。 といっても、こちらの韓国語が通じるわけではない。 高句麗は韓国史にとっても重要な国なので、韓国人訪問客が非常に多いのだ。
 さらに1時間走って集安に。峠から下る道は積石塚が左右の林の中に点在する。 ここは、桓仁の次に高句麗の都となった町である。 まずは、丸都山城。入口は高句麗式の甕城である。
 ここから200mほど山を登り、見張台(天将台)を経て王宮跡に。 途中農家があり、耕作している。 世界遺産になるときに、遺跡監視も予てあえて撤去しなかったとのことだ。 王宮跡には八角形基壇の建物が二つ並ぶ。 高句麗は早くから仏教を取り入れているから、寺院の基壇の可能性もあるが、 一方で、八角形信仰があって、そこに仏教が融合した可能性もある。 ここから、見張り台、門、平城のあった集安市内、北朝鮮の山々が一望できる。
 丸都山城の下は貴族墓古墳群。桓仁と同じようなただ石を積んだだけの積石塚から、 隅石を作ったもの、階段状のものなど、積石塚の発展史を追うことが出来る。
 これを見て昼食。「故郷村」という朝鮮族の店(でも、韓国語は通じない)。
 トラジの和え物、豆腐チゲ、刻み青唐辛子、ニンニク、キムチ…。 特にサンチュをみてホッとした。味噌は日本の味噌に近い。 ところで、漢族の料理はニンニクを丸ごと料理の中に入れているのに対して、 朝鮮族の料理は(韓国のものも)ニンニクを丸ごと調理しているものは見なかった。 食後、広開土王(好太王)碑を見学。
 覆屋の中には入れるが写真撮影は禁止。そのため、外から撮ってみた。 「倭が渡海して臣民となす」の部分、何とか撮れた(画像処理済み)
 続けての大王塚は雷が鳴ったのパス(前回も行っているので)。 王陵と碑、そして守る人の集落が見つかっているので、これが広開土王陵だというのが、 説明者の九州国立博物館館長の西谷先生の説。 そして、将軍塚へ。日本の通説は広開土王陵。
 それから特別企画として、北朝鮮国境ツアー。 集安から北朝鮮側の満浦(集安対岸)へと鉄道が通っている。 だが、本来はそばまで行けるそうだが、国境が緊張しているため、近づけなかった。
 市内に戻り、国内城見学。城内で発見された建物跡などを眺める。
 城壁は丸都山城の所から流れ下る通溝河に沿っている。 それが鴨緑江に流れ込むところは筏登島という北朝鮮側の川中島が すぐ目の前にある。川幅は100mない。集安側は6年前に比べて都市開発が 行われていたが、北朝鮮側も村が出来ていて、人々が動き回っていた。 今回は北朝鮮側のAM放送も聞こえたし(以前は聞こえなかった)、 対岸の精錬所の煙も出続けていたので、多少は経済状態もよくなったように見えた。 (国境地帯という特殊性もあるのかもしれない)。
 夜は韓国料理。ちょっと味が違うが、焼き肉。
 ホテルはホリデイイイン。ホンコン資本のホテルで、施設も良い。 ただ、PCの接続は大変だった。ITに繋ぐのにDNSを手動で設定しなければ行けないのだが、 その説明書が中国語の紙切れ一枚。係を呼んで、それを教えてもらうまで気がつかなかった。 洗面所には成人用品が…。通化でもあったが、子供も泊まるところにこれは…。 記念に写真だけ撮っておいた。

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