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2012年6月12日
中国東北部史跡紀行4日目(5月30日)

ひたすら移動と見学を繰り返す一日。
瀋陽から撫順に向かう。7時半に出発だが、
自分たちのバスが対向車線にUターンしている最中に、
内側からUターンをしようとして突っ込んできた車のため、30分路上に止まる。
(Uターン出来る余地は無く、携帯で話をしながら、無理矢理突っ込もうとした)
 
約1時間。撫順着。石炭の町で、なんとなく黒ずんだ市内を抜けると
高句麗新城。遠くには遼の時代の塔が見える(写真には写っていない)。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
山の周り全体に高句麗の土塁が巡っている。南門と北門の土塁は遺っている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
高句麗新城を見学した後、第3玄菟郡跡地を遠望してから、蘇子江に沿って上流へ。
新賓満族自治県に入る。ここは清(後金)の発祥地。
ヌルハチの親の陵(永陵)が世界遺産になっている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
自治県であるので、民族の風習などを意識したものが多い。
役所の看板も満州文字。ただし、読める人は全中国で200人(シボ語は違うものだと言われた)。
満州族が残した本をこの200人で読んでいっても、200年かかる量だそうだ。
町中も満州風の建物が建つ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここから10分ほど歩いたところに、第2玄菟郡城址がある。
土塁が巡っているが、それも含めてすべてトウモロコシ畑になっていた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
記録によると、漢によって置かれた玄菟郡の高句麗県のあった場所で、
高句麗県城もこの直ぐそばにあるとのこと。高句麗県は
高句麗国に押されて玄菟郡が撫順に移ったときに、一緒に移転したそうである。
食事は、満族(風)料理。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
辛いもの独特のものは避けてもらったというが、ソウギョ風の川魚にかかっているタレは
激辛。ピーマンの炒め物と思って食べたものは、巨大な青唐辛子だった。
焼く前の煎餅のようなお餅は美味しかった。
食堂の前は、ヌルハチの生まれたカトアラ城。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
近くには、後金の城址や、高句麗の城址が点在する。
周囲は田植えが行われ、山は韓国では見られない杉や檜林が広がる。
しっかり手が入っている立派な杉林であった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そのような中、2時間バスに乗り、峠を越えて桓仁に入る。
高句麗の最初の都があったところだ。
まずは、初期高句麗の古墳、上古城子積石塚を見る。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
初期のものはただ石を積んだだけ。少し時代が下ると、
基礎だけ大きな石で方形に整えられる。
続いて平城。下古城子城址を見る。
現在集落の中になっていて、片隅の土塁が遺っているだけだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
高句麗の城は平城と、戦争用の山城がペアーで作られる。
五女山がそれにあたるが、それに登らずに、五女山博物館を見学する。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
以前は昇ったのだが、階段が急すぎる。上り口から頂上まで999段。
桓仁を離れ2時間ほどで通化の町に。
関東軍が終戦の時にここから日本へ飛行機で逃げようとした町だ。
夕食は中華。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本時代に導入されたワインが名物。かなり甘いものだ。
また、米の美味しいところで知られる。ジュンサイのスープが絶品だった。

 
 
 
 
 
 
 

Posted by hajimet at 08:26 | Comments (0)

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