板橋区の乗松寺へ行った。
池袋から東武東上線の各駅停車で14分、下赤塚で降りる。赤塚の商店街を抜け(洋品店の値段の安いこと。1000円以下がずらずらと…)、旧鎌倉街道を散策する。そこからバス通りをひたすら進む。まわりは古い集落だったようで、比較的大きな家だった痕跡や、屋敷にまつった稲荷などが多く見られる。 15分ほど歩き谷を越えたところで、寺が固まっているところに出た。乗松寺もそこにある。といっても昭和48年に移ってきた新しい寺だ。もともとの寺は別の場所にあり、徳川家康から朱印地をもらい、吉宗の時は鷹狩りのときの休憩所に指定された寺である。境内には様々な古いもののある。
天明の飢饉のときの供養塔や、江戸時代の年後の刻まれている無縁仏も多い。その中で東京大仏は昭和52年に作られたもので、黒光りしている。関東大震災や東京大空襲のような悲惨なことを二度と繰り返さないように願って作られたものである。 大仏のまわりには多くの石仏が置かれている。文殊菩薩、役の小角、鉄拐仙人像、がまん像などユニークな石像が置かれている。伝承によると藤堂影虎が文禄慶長の役のときに朝鮮から持ち帰ったものとされていて、藤堂家から寄付されたとのことである。
全体を見た感じでは、すべてが朝鮮から持ち帰ったとは言い切れないように思う。文殊菩薩や鉄拐仙人像は何となく朝鮮風の印象もうけるのであるが、役の小角の石仏は、朝鮮では使わない高足の下駄を履いているところから、日本で作られたものではないかと思われる。鉄拐仙人像の脇には文禄2年になくなった人の墓が祀られている。戒名を見るとかなり格の高いものであるが、特に表示がなかった。誰のものであろうか。 寺には探検家の植村直己の墓もあった。高校の時に講演に来てもらい、なぜか激しい寒さの中でトイレをどうするかという話をしていたことを覚えている。それから数年しないうちに亡くなってしまった。 寺は赤塚城の二の丸のあとである。赤塚城は戦国時代武蔵千葉氏の居城であった。これに続く本丸あとは公園となっていて、付近は森の中となっている。麓には溜池や「不動の滝」があった。しかし、バイパスを越えると、そこは以前徳丸が原と言われた平野となり、まったく景観が変わってしまった。高島平の団地に続く新興住宅街だったのだ。 住宅街をしばらく散策して、都営地下鉄の西高島平から帰宅した。
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