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2006年4月6日
ソウルそして佐渡

3月29日、羽田発のJALでソウルへ向かった。ばったり空港で友人と会う。先方は仕事で週1回ソウルへ飛ぶとのこと。今回も水曜日に出て金曜日に帰国とのことだ。
 
こちらはいろいろかねて行ったが、メインの一つが中央博物館を見ることだった。
29日は東亜日報社まで行った後、歩いて教保文庫へ。教材用の本を買うための下見に行く。夜は友人F氏と中華を食べる。中国人のやっている店で、韓国風酢豚と蟹チャーハンを頼んだが、酢豚の量の多いこと。揚げた豚肉も大きく、かりんとうを一回り大きくしたようなものである。
 
翌日ヨイドで友人にあった後、国立中央博物館へ。ともかく大きい。門から建物まで緩やかな坂を登って5分。入場料を払って中に入る。韓国では3月が新学期であるが、社会科見学で来ている学生、軍人の見学、慶尚道方言を話すハラボジ・ハルモニの団体で混み合っていた。
 
広々とした空間に、美術品のように展示が行われていた。館内は三脚、フラッシュさえ使わなければ写真撮影もできる。ただし、3回の弥勒菩薩像だけは撮影禁止。
 
1階は旧石器時代から統一新羅、渤海までの考古館と金石文や印刷技術などを示す歴史館となっている。中央の吹き抜けの広場には90年代にもとの国立中央博物館の前から消えていた敬天寺の十層石塔が建てられている。タプゴル公園の石塔と同じくモンゴル=チベット仏教の影響が強く見られる石塔であるが、このまわりに三階までのエスカレーターがあってそれぞれの層に彫られた仏像が観察できるようになっている。
 
2階は寄贈文化財を展示する部分と美術館となっていて、書芸室では筆の進め方や書き方、仏教絵画室では朝鮮画に使われる色の原料となる好物などが展示される。三階は白磁、青磁、金属工芸と仏教彫刻が展示される。大きな石像、鉄像が間近で観察できるようになる。弥勒菩薩は暗くした小さな部屋の中にガラスケースに入れて置かれ、まわりを回れるようにしている。アジア館も多くの地域の展示があった。従来日本と中国、シルクロードが中心であったが、インドネシアが新たに作られ、新安海底遺跡が一部屋設けられた。楽浪遺跡も一部屋作られているが、これは韓国の楽浪にたいする歴史観がよくわかる。前は百済の前後にあったの思うのだが。
 
ここまでさっと一時間半。特別展示は「行ってみたい独島」。韓国側の主張がわかる内容であったが、自然環境など学ぶことも多かった。庭も広い。片隅に石仏や石塔を集めたところがあり、そこを抜けると竜山家族公園に出られる。ちょうどケナリ(レンギョウ)の綺麗なときだった。西氷庫駅より竜山まで国鉄で戻る。1時間に3本程度しか走らない線だ。竜山駅前のカーブを徐行しながら走る。徐行区間に死電区間があり、そこをこえると竜山駅へ。ここから1号線に乗り換えて市庁まで行った。夜は参鶏湯屋へ行き薬参鶏湯を食べる。陳皮が効き過ぎ舌がぴりぴりした。
 
31日は午前中景福宮と徳寿宮を見る。景福宮は復元作業が行われていて、あちらこちらで工事・発掘が行われている。大きく変わったところは一番奥の香遠亭の付近だ。ここは高宗時代に宮が作られ、明成皇后もここで殺されている。90年代までは帝冠様式の民族博物館があったがそれが壊され、広場となっていたところである。この宮の復元事業が始まった。その左手は軍が駐屯していて立ち入り禁止であったが、そこが解放されたためであろう。王宮復元が始まっている。さらに、チャングムに影響されたか、スラクカンの発掘現場に説明板が建てられていた。そういえばMBCでチャングムが再放送されていたっけ。ただし、チャングムの時使われていた王宮はここではない。
 
徳寿宮の大漢門の復元の完成を確認した後、南大門市場へ行き買い物を。それから通り抜けができるようになった南大門を見てホテルへ戻った。夜は冬にも食べた焼き肉。
 
1日帰国である。朝から雨。この雲に3日間悩まされることとなる。15時5分発中部国際空港行きJALは多少揺れるものの気持ちよく飛んだ。対地速度1000キロ。もう隠岐のあたりで高度を下げ始め、敦賀の所では4000メートルほどの高度しかない。山が雪で真っ白だった。程なく琵琶湖が見えてその脇を高度を下げていく。伊吹山のある一列だけに雪がある様子がよく分かる。
 
翌日は13時5分の便で小牧から新潟へ飛ぶ。機種は小型機。小牧は二回目だが、県営空港になりボーディングブリッジのない空港になっていた。まるでバス停である。早く空港について時間を潰していたが、さっき乗っていったはずの人がまた降りてくる。10時40分発の山形行きが落雷で引き返してきたとのこと。結局修理が間に合わずに別の飛行機が救援に来ていた。この日は中部でも大阪でも落雷の被害があったとのこと。テレビでは甲子園の準決勝が中止になったと報じている。
 
自分の乗る飛行機は、多少遅れつつも無事飛び上がった。良かったのはそこまでで、あとは雲の中。それも前線の雲のためよく揺れる。すとんと落ちたかと思えば、斜めにローリング。飛行機の中は不気味な沈黙状態に。外を見ると雲と雲の間を飛んでいるようだが、それ以外は分からない。すぐ後ろで大貧民をやっていた子供たちは、揺れた途端に黙り込み、隣の席の人は下を向いてじっと堪えている。アテンダントは飛行に影響ないと放送をするが、ベルトは外せない。機長の放送も入ったが、良く聞き取れずにおわる。ずっと機内誌(ソウルに行き来するときに読んだもので読み飽きたが)を見ていた。
 
そういえばいつだったか揺れいているときに本を読もうとしたら、あまりの揺れに手が持ち上げられたことがあったっけ。今回はそれはなかった。そうこうしているうちに40分ほどで新潟空港着陸。久々の大揺れであった。
 
さらに翌日。佐渡に渡って親戚に南大門で買ったお土産を渡すことになっていたが、夜からすごい雨と突風。朝のニュースで寺泊航路と直江津航路は午前中欠航との報道。佐渡汽船に電話したところ、新潟航路は問題なく動いているといわれたが、相当時化ているようで大事をとってやめて(帰れなくなると困る)、東京に帰ってきた。結局動きの遅い低気圧に振り回された3日間であった。
 
 

Posted by hajimet at 10:39 | Comments (1)

Comments
どうもおはようございます。お元気そうで何よりです。
僕も韓国に行きたいですが現状では難しいです。
本当にご無沙汰になってしまいました。
  Posted by: miyashita at 2006/04/28 6:19:33


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